Café mirai(関ケ原古戦場)

風の庭

借景山の稜線に重なり少しだけ伊吹山が見える。伊吹山頂日本武尊像と(愛知県田原市)八柱神社を結ぶ神佛の通り道はCafé mirai -(愛知県知多郡)八幡神社境内-(愛知県知多郡)大山祗神社境内-(愛知県碧南市)西方寺本堂-(愛知県碧南市)宝珠寺境内を通過する。この神佛の通り道両側には多数の小さな寺社があるので比較的幅広い神佛の通り道が作られている。更に庭に流れる風の通り道と神佛の通りが重なっているので神が通過しているような清々しさがある。この神佛の通り道に交差するように多賀大社本殿と槍ヶ岳頂上を結ぶ神佛の通り道がCafé miraiを通過している。神の降臨地なので美しい。モウソウチクの竹林を盆栽のように四角い石垣で囲むことで風の音を感じさせ、伊吹山からの吹きおろしには竹林を大きく揺らせ、感動を与えるようにしている。庭を囲む塀が無いので、風が芝面を撫でるように通り抜ける。開放的な芝面と合わせ美しい。やわらかい花木(サクラ、ハナミズキなど)が芝生と合い軽快だ。モウソウチク(孟宗竹)は1738年、薩摩藩が清から輸入したものなので、近くに島津義弘陣跡(碑)があることと連なり、風の如く敵中突破をおこなった島津義弘軍を連想させる。ここから50m南の小池神明神社の由来説明文を読んで判ったことだが、Café miraiが神佛の通り道が交差する好立地点にあるはずで、関ケ原の戦い時に小池神明神社はこの庭にあり島津義弘(惟新)がここを陣地と定め、小池神明神社で戦勝祈願した。この庭から南南西200mは関ヶ原古戦場開戦地、東北東400mは決戦地、北500mは笹尾山・石田三成陣地跡、正に鉄砲玉が行き交う中心地。陣地背後は引くことができない窪地、そして日本武尊が権現する伊吹山が控えている。日本の運命を決するにふさわしい伊吹山を控える決戦中心地付近において、戦いを知り抜き、戦国武将の中で最大の戦果を上げた島津義弘は日本史最大の決戦を静観し、島津陣地に近づく将兵を敵味方に関係なく容赦なく切り捨て、戦いが決するや否や敵中突破を行い戦場離脱した。この清々しい庭はそのような歴史を秘めている。