けいはんな記念公園の記事で、易経「45泽地翠」翠卦を元に群れを紹介した。人気のある群れに集まる人々は増え続け、やがて群れの上昇が始まる。翠卦をひっくり返し、他人が見た姿に読み替えると「46地风升」昇卦になる。地面の下に風が通ると樹木が育つ。地中の種が発芽し、真っ暗な地中から芽が光を求め地上に出て、以降昇るように育ち、後戻りしない。この昇卦は、成長する群が心がけるべきことを教えている。
企業はチャンスを掴むと急スピードで発展するが、手放しで喜べない。昇るのが早ければ落下も早い。好きな職業を選び一緒に働く人が仲良く、楽しく、協力し合っている訳でもない。企業には同じような志を持った人達が一緒に働くも、社内における上昇つまり職位を巡る熾烈な争いがある。職位が上がれば給料が増え、部課長のように誰からも目に付く椅子に座れる。
しかし企業内で昇任し続けても、それは企業内だけ、企業を支える仕事を行い、幻のような上昇を経験しただけで、退任、退職後に残るのは思い出と、すぐ過去になる業績結果だけだ。
企業内での昇進は各人、昇れる限度、限界が違い、各人の限界点以上には昇れない。景気の波にさらされた企業は人員削減、事業部の廃止もしくは売却、降格人事、解雇を行なう。それに対し、昇るように成長する樹木には成長の限界はなく、生涯にわたり育ち続け、苗に戻ることはない。一般社員に戻されることがある組織内昇進は虚の世界だ。
人にとって真に昇るとは、生涯にわたり昇りつづける行為。例えば学業、研究、修行、修徳など、これらは自らの能力を高め、徳を高め、研究成果を出し、善行し続けることができる。つまり、精神面、教育面において限界、限度はなく真に昇り続けることができる。これこそが人にとって実の昇りだ。
人間レベルを昇らせることについては、貧しく何も持っていない人の方が、仏教修行、修験道修行、学問の習得、徳を高めることに素直に取り組め、楽しく愉快に行え、成長早く、成果が上げやすい。
比べて富を持った人、実力者は多くの考え方を持っているがために一心一意の素直な修行、学問に取り組みにくく、成果を出すのに時間がかかる。
高僧が座禅病にかかるように、精神レベルが高い人ほど修行に苦心する。茶室に入る前に身に付いた雑念を捨てるのも素直な心に戻す行為だ。
昇卦は企業の成長における注意点を教える。チャンスを掴んだ会社は急成長し始めるが、やがて各企業が持つ能力の限界点で成長は止まり、その後、景気の波に飲まれ昇ったり降りたり、浮き沈みを繰り返すことになる。
大きくなりすぎると、世の中の流れが変わると一気に消滅してしまう。
時代が変化し、誰も手を付けていない巨大市場が生まれた時がチャンス。新しい市場が必要とする商品やサービスを提供できる力があればチャンスを掴める。
チャンスを掴み、昇ることばかりに気をとられ、基礎を固めず大成長すると、市場変化で一気に崩れてしまう。基礎固めとは、上昇する際に、企業の発展に同調させ、全従業員各人の人間性を上昇させること。人としての成長を怠ると、成長後に、大成長した時に助けてくれた人への恩を忘れ、顧客への恩を忘れ、心は企業を昇らせることばかりに気をとられ、自己過信にて恩人や顧客の話を聞かなくなり、市場変化と共に一気に沈むことになる。
植物は太陽光に向かい正しく育つ、企業もそれに倣い、光明に向かって正道を歩まなければならない。正道を歩くためには企業人は人間性を高め、企業の基礎を作るべきだと説いている。
樹木の種はその樹木が育つのに適した地に落下したことで芽を出す。人も同じで自らを育ててくれる職場に入社できれば芽が出る。樹木は幾度か冬を越した後に上昇を始める。人も幾度かの試練と、先輩の暖かい保護と指導にて上昇を始める。寒冷地に育つ過酷な環境下で育つ樹木の方が、成長早い熱帯地域の木よりも、硬く強くなり、長い時間をかけて熱帯地域の木より高くなる。
人も試練が多い方が堅実な人となり、やがて強大高大になる。甘やかされて成長した人より、苦労して成長した人の方が伸びる。高山など過酷な条件下で育った樹木は曲がりくねるので、伐採されることもなく長寿命だ。
同じく、苦労した企業人はどんな苦難も乗り越え、勤務寿命が尽きるまで働けて長期勤続者となる。
企業は外の環境に合わせることで生き残れるが、企業の第一目標は成長ではなく、生産性向上でもない。
人が群れをなし企業が成り立つので、企業の目標はその実、全社員の人間性向上だ。全社員に徳を学ばせ、正道を歩かせることで人として大切な人間らしく生きる基礎が身に付き、その基礎の下、全従業員が楽しく仕事ができる環境が出来、従業員が生み出す商品やサービスにて、利益を出し納税することにある。そのために負の面が大きいポジション争い、派閥形成が起きない社内風土作りが必要だ。
その上で昇卦の精神である「积小以高大」大きなことをするなら小さなことを積むことから始めるべき、小さなものを積めないなら大きくなれない。大きな徳を積むなら小さな徳行から開始すべき、大善人は小さな善行から始め大善人になった。大きな戦いに勝つ将軍は小さな戦いに勝ち続けた人。大成果を上げる研究者は小さな成果を上げ続けた人。そして経営者は自らの品徳の向上に合わせて事業を大きくしなければならない。品徳=徳行、事業は徳業でなければならないと教える。
私は今まで幾人かの中小企業の経営者を見て来たが、成長中小企業の中には会社の成長とは真逆に経営者自身が自らの人間性を下降させ続けることがある。会社がどんどんと立派になり、対外的な障害物が無くなり、経営者の思い通りに事業が発展するのとは反比例して、金銭欲と権力欲にとりつかれ経営者の顔がどんどん下品になって行く。社員には常識や徳を求めるのに、自らはその逆に下降し続ける。金を自由に使えるようになると、人は貧しく苦労した頃の上に上へと自らの精神を向上させていた時を忘れ、安易に快楽を求め、精神を堕落させがちになる。中小企業の経営者が最も気をつけることは上へ上にと自らの精神レベルを昇らせ、従業員を引っ張っていかなければならないこと、その立場に居ることを忘れ下品な行動をしないこと。徳業と真逆な拝金主義企業としないため、自社の成長限界、行動限界を分析し、適時に企業の成長調整をすべきだと教える。
企業は創業者が付与した宿命で回り、会長、社長の思想、理想、品徳で運営され、昇り続ける。社会情勢にて規模を縮小する時もあるが、昇り続け、生き続ける。利益を拡大し続けることは難しいが、全社員の人間性を向上させ品徳を昇らせ続け、働きやすい社風を作り、社会貢献を果たし続ける企業が最良だと教える。虚を積み上げてもいずれは消えてしまう。