長楽寺(浜松)

光岩山の山裾にある寺だが、気賀関所の監理者、(旗本)気賀近藤家の別宅跡で、貴重な上段の間が残されている。上段の間から小堀遠州作の回遊式庭園(満天星の庭)が望め、庭の中心となっている借景の光岩石が見える。現在の所有者、長楽寺は光岩石近くにあったが、ここに引っ越し、庭に十三重石塔、石灯篭、石仏、石碑を移設し、ドウダンツツジを植えた。建屋東側を建て増しする際、東庭を撤去された。二度と復旧できない小堀遠州作の東庭撤去は心が痛む。幸いなことに小堀遠州作の建屋北庭(満天星の庭)は十三重石塔、石灯篭、石仏、石碑、ドウダンツツジを移動させ、庭東側に掘った防空壕のような洞穴を埋め、庭周囲の竹林を撤去すればすぐにでも小堀遠州の庭に戻れる。丘陵状の地に200株余りのドウダンツツジを植えた現在の庭も美しい。丸刈りにされたドウダンツツジが可愛く、ドウダンツツジの間から見え隠れする先が尖った柔らかい色をした多数の石が光岩石に向かっているので、庭が表現する甘美な心が光岩石に向かっているようで、庭に吸い込まれる。浜松の柔らかい風土によるものか、庭に下りると甘美な世界に迷い込んだような気持ちにさせられ、にこやかな庭に包み込まれる。この甘美な世界は十三重石塔を据えドウダンツツジを植えたことによるものではなく、浜松の明るい地勢、庭の石組み、遥拝、神の通り道によるものだと思う。庭の中心石は借景の光岩石であり、庭に西日が差し込むのを防ぎ、光岩石を尊く見させるため、庭西側のナギ、スギなどを大木に育て、東北側のスギを一列に大きく育て、多くの庭石の頭を光岩石に向けている。庭エネルギーが光岩石に集中する構成となっているが、一部のエネルギーが十三重石塔に集まり気がそらされる。推測だが住職がツツジと石塔を組み合わせた(京都)智積院庭園に啓発され、秋、燃え上がる紅葉となるドウダンツツジにて十三重石塔を頂点とする護摩焚き炎のような庭としようとしたのではないだろうか。現在の庭はエネルギーが分散されているので、ドウダンツツジが落葉し庭石が良く見える冬の方が、光岩石に集中しやすくなり、本来の庭に近づくはずだ。建屋(客殿)の向きから遥拝先を調べると、西北西の大山の大神山神社本殿(大国主を祀る)と比叡山を遥拝していた。大神山神社本殿と当寺を結んだ線は比叡山(根本中堂と横川中堂の間)と西教寺を通過した。大国主は大山に権現した、大物主は比叡山に権現したと言われているので、建屋は大国主と大物主を拝んでいる。北北東方向には建屋(客殿)は(長野)戸隠山、戸隠神社宝光社を、その反対方向には(浜松)岐佐神社本殿を遥拝している。遥拝先を整理すると(浜松)龍潭寺に似て主に神体山を遥拝している。西北西に大国主、大物主が権現した山を、北北東に神が住む戸隠山を、南南西に岐佐神社を拝んでいる。戸隠神社宝光社と戸隠神社宝光社を結んだ線は建屋すぐ東を通過する。戸隠神社の5社は宝光社付近に点在しており、戸隠山を神体山とする戸隠神社奥社と岐佐神社本殿を結ぶと当建屋の西約100mを通過した。よって南北方向の神の通り道に建屋は包まれている。次に東西方向を見ると久能山東照宮本殿中心と(奈良)談山神社本殿中心・権殿中心を線で結ぶと建屋(客殿)を通過した。東西方向には強力な神の通り道が建屋を貫いている。そして建屋が神の交差点となっている。更に熊野本宮大社大斎原と(富士山頂付近)浅間大社奥宮を結んだ線が光岩石と建屋との中間くらいを通過し、(浜松)龍潭寺境内をかすめ、井伊谷宮を通過している。摩訶耶寺と似て力強い庭となる天、山、地、沢を見せる庭だが、更に建屋から光岩石を見ることは強力な神の通り道を観ることに通じているので、庭が神々しくなって当然だ。浜松城天守閣から光岩石に線を引き、そこから当建屋に線を引くと、光岩石を頂点とする約38度の角ができる。光岩石の面が向いている方角まで調べていないが、浜松城が放つ光が光岩石に反射し建屋、上段の間に注がれる形となっている。光岩石がある北側は田園地帯が広がっている。建立当時は光岩石の下に長楽寺本堂がそびえていた。光岩石付近の田園から庭、建屋が丸見えとなっているので、光岩石付近にいる人、田園で働く農民から旗本が建屋内で過ごす姿が見えるので、領主と領民が一体感を得られる大名庭園の条件が整えられている。上段の間に座る(旗本)近藤氏の背後には光岩石があり、浜松城の威光を反射させている。更に背後には戸隠山の神々が控え、庭先には強力な神の通り道が観える。下段の間から上段の間に座る旗本を見上げると神に守られた人と感じたはずだ。建屋の表(南南西)側の庭は神が舞い降りて来て歓談できるように上面が平たい石が輪となるよう置いてある。山門を潜り建屋(客殿)入り口を見るとガラス越しに小さな中庭(坪庭)が見える。その坪庭にも上面が平たい石を輪のように置かれ神の歓談石組となっていて、神が降臨しているように見せている。神に守られた庭なので、いずれ復元されるのではないだろうか。