駿府城公園紅葉山庭園

京都のあちこちの美しい風景を切り取って来た二条城清流園と同じように、借景山を持たない茂みの中から大量の水が流れ出てきて滝となり、黒玉石の州浜の河原を抜け、白玉石の州浜が伸びる海岸へ水が流れ込んでいる。自然界であり得ない光景だ。庭中心は富士山を模した芝面の築山で、築山上にポツリポツリと石を置き優しいリズムを付けている。築山を取り囲む茶畑を模したサツキの大刈込、その付近の白玉石の州浜、木橋、黒松が美しい。いろいろな種類の樹木(サクラ、ツバキ、トベラ、レンギョウ、ウメモドキ、タイサンボク、サルスベリ、ツワブキ、サザンカ、シャリンバイ、ユズリハ、ソヨゴ、ナツツバキなど、そして多くのカエデ)を池周りに育て花や葉を楽しめるようにしている。四阿(あずまや)付近の池は護岸石を伊豆半島の荒磯のように、或いは火山岩のように荒々しく組んでいる。海に見立てた池に立つ石組は荒々しい火山島のようだ。池水は澄み、水面に配された排水口が水を吐き出し漣(さざなみ)を作っている。風が水面を撫でているようで爽やかだ。築山の芝面が綺麗で一見、大名庭園風に見えるが、祈りの石がなく大名庭園ではない。静岡内から切り取って来た風景を組み合わせ、優れた美しさを作っている。海を模した池は陰陽2つの世界からなる。一つは富士山を模した築山と白い州浜にて太陽光を反射するスマートな陽の世界。もう一つは四阿(あずまや)付近、火山岩のように見せた黒系色の護岸石と島による太陽光を吸収する陰の世界。駿府城内の庭なので、太陽光の反射による明るい世界は現代、太陽光を吸収する陰の世界は江戸時代のように感じる。明るい現代世界から流れてきた澄んだ水で暗い儒教思想や封建的習慣などを洗い流し続けるも、引き継いできた文化や慣習は化石のようになっても洗い流せない。そのような状態を表現した庭だと感じた。