閑谷学校 黄葉亭

渓流の合流景色を露地とした茶亭

黄葉亭は渓流の合流点に建てられている。合流点では水害が発生しやすいが、ここは大きな岩盤があるので事なきを得ている。下鴨神社のように二つの川の合流点を神が宿る地とし、大木を育て、聖なる綺麗な地として居住地とならないようにし、水害発生を食い止め、水質を守ることが多いが、ここは聖なる地に茶亭(茶室)を建てているので清清しい。山と樹木に囲まれているので流れの速い渓流の音が心の奥に響く。黄葉亭(こうようてい)は1813年(文化10年)閑谷学校の来客者接待、教職員・生徒のために作られた。岡山藩第5代藩主 池田治政(1750年~1819年)が衰退していた閑谷学校を再興したので、再興の一環として黄葉亭を建てたのだろう。名前から連想するのは黄葉を楽しむ茶亭。黄葉シーズンは台風が少なく洪水が少ない、夏に降った雨が山に貯えられていて、水量が多い。蝉の鳴き声もなく、風も少なく、澄んだ空気の山中に渓流音が響く。易経29坎為水、水また水、水は陥るところに向かっておちいって行く。水の流れのように正道を貫き、繰り返し、繰り返し、習うべきことを習うべきと水音が唸っている。茶亭周囲にスギと落葉広葉樹があり、ツバキの花が咲いていた。渓流下流側のコケ面には多数のカエデが植えられていた。春は易経19地沢臨、沢の水が地を潤し若葉を茂らす。地と沢とは持ちつ持たれつ、樹木が大いに育つように若者を成長させる。夏に大雨が降り大水が出れば易経43沢天夬、決壊寸前、水の勢いは止められるものではない。学んだものは自らの楽しみのためだけに使うのではなく世の中に役立てよと諭す。秋は黄葉が美しい収穫の季節である。易経45沢地萃、地の上に沢がある。潤沢な地となる。人心が集まる時には不慮の災害が起きやすい、突発的事変に備えろと警鐘を鳴らす。カエデの葉が落ちた冬は茅葺の茶亭が梢の間に良く見える。風が良く通るこの季節は露地と茶亭の本質が見える。易経61風沢中孚、沢の上に風があり、過ぎず及ばざることのない美しい茅葺の黄葉亭が見える。節度、節操があってこそ人は信用されることを教える。季節ごとに大きく異なる風景にて茶会に臨む心境を違ったものにする。京都で良く見られる露地のように僅かな木々で季節を感じさせ茶室に招き入れるのと異なり、客人に五感で大自然を感じさせ招き入れることができる。大きな渓流音を聞きながらの茶会は心が洗われ、抹茶が心に沁みることだろう。渓流合流点を利用した豪快な露地だ。余計なことかもしれないと思いつつ黄葉亭の遥拝先を探すと姫路城天守閣に向けて建てられていた。ここでも他藩の天守閣を遥拝する岡山藩の伝統は貫かれていた。航空地図では判別付けにくいが黄葉亭は北の和意谷池田家墓所を遥拝しているように見える。まとめると神が宿るべき渓流の合流点に易経が読み取れる露地を作り、遥拝を加えたので神秘的な美となったと推測した。近くの津田永忠宅跡は水田に改造された後の水田跡地だった。水田跡地なので、どのような建屋が建っていたのか、どのような石組みの庭があり、ツバキ以外にどのような樹木を育てていたのか判らなかったが、北側の山を望む屋敷跡と思う地点に立つと実際の面積以上に雄大に見せる中央部に凹部のある山があり、その凹部に青空が広がっている。この山を借景とした庭があったはずだ。おそらく建屋は北に和意谷池田家墓所の池田光政墓を、

西に山東省曲阜(きょくふ)孔子廟を遥拝する方向に建てられていたのだろう。