姫路城

天空を反射する白壁の大天主、西小天主、乾小天主、東小天主が聖人のように立っている。池田輝政が聖人を天主で表現したのだと思う。歴代藩主は日本一美しい姫路城維持に多大な負担と責任をしいられた。明治維新から太平洋戦争終結まで日本中の城が次々と潰される中で、美しさゆえ姫路城三の丸を使っていた陸軍自身も保存活動を行った。神に守られた城で大天主にアメリカ軍の焼夷弾が命中するも不発で火災とならなかった。400年以上の月日が経った城とは思えないほどに美しく輝いている。法隆寺の空と同じような美しさがあるので、法隆寺と同じくスサノオとアマテラスの娘、宗像三女神を祀る聖地を起点に神の通り道を探した。(沖ノ島)宗像大社沖津宮と(京都)城南宮本殿を結んだ線は大天守を通過した。(大島)宗像大社中津宮と(比叡山)四明岳を結んだ線は大天守と双樹庵茶室を通過した。(宗像市)宗像大社辺津宮と(滋賀)日牟禮八幡宮本殿を結ぶと大天主から約170m北西の北勢隠門跡の内側を通過した。オオクニヌシを祀る出雲大社御本殿を起点に(城北部の兵庫県立歴史博物館などの地区から城南部の大手前地区までを含めた)姫路城全体を通過する線の先には(奈良)耳成山、メスリ山古墳、藤原宮跡、(羽曳野)仲津姫命陵、応神天皇陵など多数の聖地がある。例えば出雲大社御本殿と耳成山口神社を結ぶと兵庫県立歴史博物館付近を通過し、応神天皇陵拝礼所とを結ぶと三の丸広場を通過し、応神天皇の皇后(仲津姫)陵遥拝所とを結ぶと東小天守を通過する。出雲大社から応神天皇陵がある河内源氏の本拠地、及び藤原京跡地を遥拝すること、逆にそれらの地から出雲大社を遥拝することは姫路城遥拝に通じている。吉備を平定した大吉備津彦命とその弟らを祀る(岡山)吉備津神彦社本殿を起点として姫路城を通過する線の先には(京都)下鴨神社、糺の森、仁和寺、平野神社、北野天満宮、相国寺、(東京)江戸城など多くの聖地がある。例えば吉備津神社本殿と仁和寺金堂を結んだ線は東小天主を通過し、下鴨神社東本殿とを結んだ線は二の丸南端部を通過し、江戸城天主台とを結んだ線は三の丸・(京都)常寂光寺・北野天満宮・下賀茂神社橘殿を通過する。大吉備津彦命とその親族らを祀る(岡山)吉備津神社本殿を起点として姫路城を通過する線の先にも吉備津彦神社本殿を起点としたと同じように京都の多くの聖地があり、その先には江戸城がある。例えば吉備津神社本殿と下鴨神社東本殿を結んだ線は大手門を入ってすぐの三の丸南を通過し、比叡山延暦寺三重塔とを結んだ線は外堀の(最)西北角部城壁(櫓があったと思える地点)を通過する。スサノオが権現した御嶽山の頂上付近にある御嶽神社頂上奥社と(赤穂)伊和都比売神社本殿を結ぶと北勢隠門跡の内側を通過する。(富士山頂上付近)浅間大社奥宮久須神社と(岡山)最上神社仁王門を結ぶと大天主の東南端を通過する。 (京都)上賀茂神社本殿と(広島)厳島神社幣殿を結ぶと大手門を入ってすぐの三の丸南を通過する。(京都)石清水八幡宮と (対馬)海神神社を結ぶと三の丸広場を通過する。 (福井)若狭彦神社下社と(宮崎)高千穂神社本殿を結ぶと三の丸広場を通過する。西の丸を見ると、化粧楼は出雲大社御本殿を、反対方向には武家の棟梁、河内源氏の本拠地(羽曳野)を遥拝している。百間櫓の一番長い廊下は沼島の上立神岩を遥拝する方向に伸び、東西方向に伸びる2つの廊下はブッダガヤの大菩薩寺を遥拝する向きに伸びている。西の丸は出雲大社と羽曳野の各古墳を行き交う神の通り道の下にあり、祈りに包まれている。以上のように姫路城上空には実に多くの神の通り道があり、且つ城内で交叉しているので、城内は神々の降臨地であり、三国堀は神が遊ぶ池となっている。神々しい城なので、城攻防戦など眼中にないようにさえ見える。多数の神の通り道が交叉するこの地を選んで築城し、天主を位置決めし、攻略する気にさせない城を目指したのだろう。大天主が向く先の聖地を調べると大天守は東には(奈良)薬師寺三重塔(もしくは金堂)を遥拝し、西には(中国)泰山岱廟を遥拝している。薬師寺三重塔(もしくは金堂)と泰山岱廟を結んだ線は祈廻櫓、大天主、西小天主を通過する。更に水の御門、帯郭楼(腹切丸)、湾曲した三国堀の北側の城壁ライン両端を結んだ線、帯郭楼(腹切丸)、本丸南側の城壁ラインも薬師寺と泰山岱廟を遥拝している。泰山頂上は秦の始皇帝以来、中国歴代皇帝が皇帝就任を天に告げた聖地で、泰山ふもとにある泰山岱廟は皇帝が立ち寄った行宮である。薬師寺は天武天皇が開基し、慈悲を表現する薬師如来を本尊とする。封建制度を象徴する泰山岱廟と、仏教文化を日本で花開させた薬師寺を同時遥拝しているので、皇帝の文化レベルの高さと思いやりで封建制度が成り立つことを大天主で表現し、中国皇帝へのメッセージを込めたと推測した。大天主は各聖地を貫く遥拝線の中心になっている。大天守中心と伊勢神宮内宮正殿を結んだ線は大坂城本丸を通過する。大天守中心と(富士山頂上付近)浅間大社奥宮久須神社を結んだ線は(京都)西本願寺、東本願寺、清水寺を通過する。大天守中心と熱田神宮を結んだ線は(京都)東寺を通過する。天守閣中心と(東京)上野東照宮を結んだ線は(京都) 大沢池、龍安寺、船岡山頂上付近、鷺森神社を通過する。大天主中心と鹿児島城御楼門を結んだ線は(愛媛)宇和島城天守閣、(鹿児島) 霧島神社本殿すぐ北側、仙巌園(磯御殿、御庭神社)、磯天神菅原神社を通過する。大天主と(中国西安)大慈恩寺を線で結ぶと、(中国の古代首都)洛陽、鄭州、開封の中心部、たくさんの倭城があった(韓国)釜山広域市を通過する。大天主はまるで光を放つ聖人のように連なる遥拝線の中心に位置している。東小天主と東小天主に東西方向に連なる櫓は、藤堂高虎が作った大洲城天守閣と同じく、インドから経典を持ち帰った三蔵法師玄奘が翻訳活動をした(中国西安)大慈恩寺を遥拝している。東小天主と大慈恩寺とを結んだ線は洛陽、鄭州、開封の中心部、多くの倭城があった(韓国)釜山広域市を通過するので、東小天主と櫓は明らかに中国の文化地と韓国釜山を意識している。中国文化を尊重しつつ、倭城跡や倭館があった釜山を見つめている。祈廻櫓と西小天主は西に(中国曲阜)孔廟を遥拝し、東に(奈良)神功皇后陵を遥拝している。孔廟と神功皇后陵の前方後円墳の円中心を結んだ線は大天主中心と西小天主の北部を通過する。東洋人の生活規範となった儒教の創設者、孔子を祭祀する中国最大の孔廟と、戦うことなく新羅を屈服させた神功皇后の陵を同時遥拝していることから。江戸幕府は清朝、李氏朝鮮と儒教を基に対話外交し平和維持に努めていたことを天主で表現したと推測した。姫路城天主が遥拝する聖地から、天主が表現しようとした聖人を推測した場合、その候補は多いが、中国を意識した向きが多いので大天主で孔子を、小天主で儒学者達を表現したと思う。儒家の姿を天主で見せ、儒教が国の外交基本であることを表現したと思った。天主を見ていると、近年、日本も中国も封建的な儒教を否定する風潮があり、それが日中両人民に対し自らのアイデンティティを自ら否定する行為につながらせ、両国人民共に自らの心のバランスを崩れさせる要因になっているように思えてくる。日本においては明治維新以来、拝金主義、個人主義が第一となり、社会協調は口先だけのものになっている。少し考えてみれば仕事は他人の幸せを作るため、他人を利するために行うものであって、自らの利益のためだけではない。親の子に対する愛情も同じだ。しかし国は個人の利を優先させる社会構造とすることで、多くの人に自ら働いた以上のものを得ようとさせる競争を誘い、あげくの果ては金融博打に金をつぎ込ませ苦境にのめり込ませている。結果、大多数の人が敗者となり、多くの人が心のバランスを崩している。天武天皇以来、長い時間をかけて育んだ他人を思いやる伝統をないがしろにしてきたことによる反動だ。日本は敗戦国でいまだにアメリカに従属させられ、GDPの半分程度を上納させられ、日本の経済、技術の発展を阻止されている状態にあるが、それでも日本人は日本人なのだから卑屈になることはないはずだ。伝統ある神社、仏閣、禅堂、茶室、能舞台、土俵が現役で使われ優れた文化の継承がなされている。日本人自身が長い年月をかけて育んだ文化を学び実践すれば幸せになれるので、幸せな日本人はそのような生き方をしている。中国人は日本人以上に儒教の生活習慣が身についている嘘が大嫌いな民族なのに、日本人以上に多くの文化を失った。拝金主義を導入し世界トップレベルの国となったのに、日本と同じく他人を思いやる伝統をないがしろにしているため、虚偽行為をして金を得る者が多い。連日、日本軍の侵略戦争ドラマを国民に見せ、戦争に駆り立てるようなことをし、覇権主義をまい進している。日本人は反省が足りないと中国国内に言うのではなく、外交を通して日本国民にわかるように説明するべきなのにそれをしてこなかった。2012年、反日運動に火が付いた時には中国にある日本の大型スーパーに放火し、日本車を叩き潰し、中国にいる日本人に問題の解決は戦争しかないなどと脅し、レストランに入るとここは日本人が食事をするところではないと書いたメモを置く店が出た。連日テレビ放映している悪役の旧日本軍人とあまり変わらないことをしていると人たちだと思った。しかしながら普通の中国人は儒教的な話を好み、お互いに良い話を日々、交換し合っている温和な人達だ。大きく見れば両国共に儒教を失った封建主義社会(官僚社会)を続けているだけで、幸せに暮らす一般大衆は徳川時代、清朝時代の人々の生き方と大きく変わっていないように見える。精神的に退化したのは官僚だけで、儒教精神をないがしろにし、目標に到達するためならば不健全な政策、行政、言動も必要だと思っていることが問題なのかも知れない。徳川時代、清朝時代には官僚になる人たちに儒教教育を行った。それがなくなったことが問題なのかもしれない。日本人と中国人が長い歴史をかけて育んだ儒教思想に立ち返り、日中双方の官僚・政治家が日々、精進を続け、自らのレベルを向上させ、他人を思いやる共通の文化を復活させて交流すればお互いに敵視することもなくなるはずだ。日本も中国も強い国であるが力で相手をねじ伏せるのではなく、共通の文化をベースとすれば、話し合いで解決できないことなど何一つとないはずだ。徳川幕府と清朝の関係を見習い、お互い剣を見せず、平和を守る取り組みをすべきではないかと思う。三国堀の傍に立って姫路城を見れば易経「13天火同人(てんかどうじん)志しを同じくする」が当てはまる。天は公明正大で広々としている。火は物事を明らかにしてくれる。天は剛健で偽りが無い。火は美しく澱みが無い。天の気を映し輝く白鷺城(姫路城)はとても美しい。志が同じ者がお互い貞節ある行いをすれば実現できないことなど何一つない。正に日中双方が行うべきことを白鷺城が表現しているようだ。明るく楽しい幸せな社会を作ろうとする志を同じくする国同士、共に自らの民族文化(儒教文化)を思い起こし、同じ土俵の上で交流すべきことを。人々に儒教精神を見せ続ける姫路城は世界文化遺産にふさわしいと思った。