白壁、渡り廊下、本堂に囲まれた平らな地をなでるように流れる風を感じさせる。季節を感じさせる若葉と紅葉が美しいカエデを植えた極めてシンプルな法姿園、易経に当てはめると先に記事にした妙心寺 桂春院庭園と同じく「20风地观」観察、省察の道になる。織田信長は二十数回の上京の際、18回も妻、濃姫の弟が住持を務める妙覚寺を宿舎とし、本能寺の変では嫡男、織田信忠が宿舎とした。桂春院の前身の見性院は織田信忠の次男、織田秀則が本能寺の変から16年後の1598年に創建したもの。両方の庭は共に、民から仰ぎ観られた織田信長と信忠の姿を表現し、観卦の教えを語っている。それを書き出すことにした。日本人の祖先神を祀る神社参りする際に日本人は手洗い、口を漱ぐことを習慣にし、心を清めた上で神に祈りを捧げる。この慣習にて民が上の人を見上げる時に敬虔な気持ちで観るように教化された。天皇、皇族が巡幸し、民情視察することで、日本を創生した神々の子孫と伝わる天皇、皇族と民との一体化を実現させている。民から観上げられ注目される人物は自らの行動、発言について民の反応を見て、その行動や言葉を修正し、観上げてくれる民を感応させ、感化させている。観の中心人物は注意深く民を観察し、民に気配りし、配慮を行うべきだが、もし自らを過信し、自信ある行動や発言をすればたちまち危険に遭うと教える。
観られるものは目立つもの、大成果などだが、民がそれを観ることは自らも観られることに通じる。観察は子供視線ではなく、広い視線を持ち論理的に観なければならず、偏見にて一部分だけを観るのではなく全体像を掴むように、頭脳明晰な状態にて真心にて観るべきだと説いている。
観卦は風と土からなり、台風は別として通常の風は優しく、土は萬物の母でありすべての生物を生み育ててくれるものなので、優しい世界の中にある。よって観る時に優しさと真逆な、人が最も恐れる心の死につながるような、人の心を殺してしまうような殺戮、強姦、罵倒、虚言、名誉棄損、侮辱、怒りなど殺伐とした気を避け、行動を止め、心を静め、小さな事象の観察から全体像を把握し、将来を予測し、手遅れにならないように措置すべきだと説いている。
①人の観察は童観からスタートする。子供視線は見る範囲が狭く、幼稚な受け止め方をするので、大人になってもこの観察力から抜け出せなければ、レベルの高い人から相手にされなくなり、大成できない。
②次の段階は偏見、自分を守るために隙間から物事を見るように観ていると、全体像を捕まえられず、情報を集められず、理知的な判断ができない。感情にまかせ、或いは好き嫌いで観ていると、物事が自分に都合の良いように観えてしまい間違った判断を下してしまう。
③童観、次いで偏見を脱却し、全体的に物事を観ることができるようになれば観の道を進めるが、正確にものごとを観ることができるようになったと自負するようになると、往々にして成果をあせり、誤った判断を下してしまう。安易に判断を下すのではなく、観の道に乗っているのだから、これまでの自らの人生を省み、過去の経験を振り返り、前に進むだけではなく、時には退き、自己的な考えを捨て、将来の変化を冷静に読み取り、慎重に前進、或いは退却の判断を下さなければならない。山のように自分は自分、他人は他人と割り切り、進退を繰り返すことで難を避ける。
④ものごとを冷静に観ることができるようになり、冷静な判断が下せるようになれば、観の道をどんどん前進でき、上の人から引き上げてもらえる立場になる。そのため、他人から嫉妬され妨害を受けがちとなる。未だ、責任ある立場ではなく、客人扱いなので、高い評価は受けても実利はあまり得られない。
⑤更に前進し民から仰ぎ観られる総責任者となれば、実利も手に入れることができるが、その地位に達した時、先ず行うべきことは自らの人生を振り返ること。自らの人生を振り返えれば、これから観察すべき民の人生を読み取ることができ、次いで、自らが何故チャンスに恵まれたかを観出すことができる。チャンスを掴める人は予め準備をしていた人なので、何を準備していたかを省みることで、民を助けることを考えることが出来る。そして民を助けることを実行し、同時に民の反応を観て、自らの行動を調整することを繰り返すことになる。更に美しい徳を積むことで、民から仰ぎ観られる立場を固めることができるが、独善的にならず、功績や成果を民と分け合い、管理を調整することで内部の不満の発生を防ぎ、成果を上げ続けることになる。
⑥民から観られる人は上記⑤の総責任者一人だけでは不十分なので、会社に社長職と会長職があるように、総責任者の上に民から観上げられるもう一人いることが多い。上記、総責任者の経験者がこの職位に着任することが多く、着任後に先ず行うべきことは下位にいる総責任者の人生を省みること。観の道における最上位の人が一番恐れるのは、下位の総責任者が困難にぶつかり動揺し、苦しい日々を過ごし、困窮し、組織の大きな柱を支えきれなくなること。それを防ぐために適時、適格なアドバイスを行い、協力行動に出て、総責任者を助けなければならない。そのために総責任者のことを十分に知る必要がある。
易を占いと見なし、幸運を求め災難を避けるために易占に頼るのは真の人生ではない。自らの人生体験を基に、物事を3回観て、考え、正確に状況を把握し、行動することが真の人生だと易経は説いている。物事は慎重に始め、有終の美を飾るようにうまく終わらせなければならない。生死は自然現象の一つであり、生まれて来た人はいずれ死ぬ。自然現象に終わりは無いと解説しているように人類は生死を繰り返し発展し続けている。世の中には正道があるので、人は正しい道に乗り、進む以外に、社会に貢献でき、人類の発展に貢献できる術は無く、その道を進めた人だけが真の幸運を掴むことができる。
さて、観の道の最上位と総責任者の地位を得て民から観上げられる人だった織田信長と信忠、地が表す民から観上げられ、風のように爽やかに命令を発し続け、日本統一事業を略完成させた。今も多くの人から尊敬され続け、この庭に二人の姿が表現されている。この庭では安土城に流れていると同じような死の風を感じた。