南禅寺 天授庵 方丈前庭

徳川家康と日本武尊への崇拝庭園

柿皮葺屋根の方丈は1602年(慶長7年)に細川幽斎により再興された。方丈(本堂)・庫裏(旧書院)は東に久能山東照宮を、南に熊野本宮大社跡(大斎原)を遥拝する方向に建てられている。しかし天授庵の他の建屋は少し遥拝方向を変えている。書院南庭に向けて突き出た新書院(大書院・小書院)建屋は東に徳川家康の生誕地、岡崎城を、南に奈良県御所市、日本武尊白鳥陵を遥拝する方向に建てられている。天授庵敷地の正門・通用側に隣接する、南禅寺境内の参道及び側溝は岡崎城を遥拝する東方向に伸びている。参道と側溝に沿って建てられた正門、通用門(観光客の入場門)共に東に岡崎城を、南に日本武尊白鳥陵を遥拝する方向に建てられている。山門と庫裏(旧書院)とを結ぶ天授庵境内の参道も日本武尊白鳥陵を遥拝する方向に伸びている。天授庵境内、通用門と庫裏とを結ぶ参道から東方向、方丈へ通じる道は岡崎城を遥拝する方向に伸びている。方丈前庭に目を移すと、正門から方丈(本堂)に至る小堀遠州の発案により作られた苔に縁取られた幾何学的な石畳、及び方丈前庭の南側、細川幽斎の廟所に向かう同様の苔に縁取られた幾何学的な石畳、共に、南の日本武尊白鳥陵を遥拝する方向に伸びている。この二つの石畳はそれぞれ個別に方丈につながっているが、方丈(本堂)につながる東方向の石畳は共に岡崎城を遥拝する方向に伸びている。

方丈前庭(東庭)の美しさのレベルは極めて高い。打ちのめされる程に美しい。カエデの葉が落ちた冬場、庭の本質が見えて良い。江戸時代の東山は松林だったので、冬場の庭は現在以上に美しかったことだろう。この庭は方丈正面(東方向)に岡崎城、久能山東照宮、二つの遥拝先に持っている。駿府城と久能山東照宮とは天授院方向から見ると南北方向にそれほど距離差がないので駿府城も遥拝していると読める。つまりは徳川家康の生誕地、終焉地、そして墓所を遥拝している形になっている。庭の形を見ると方丈側に敷かれた白砂は川で、白砂の対岸は低い土手状の築山、そして白壁の築地塀となっているので、白壁は岡崎城の城壁だと読める。天授庵から望む岡崎城は北から南に流れる矢作川をはさみ対岸の岡崎城を望むことになる。もしくは岡崎城西側の堀から岡崎城を望むことになる。庭の白砂は矢作川もしくは西堀ということになる。この場合、正門側が上流、細川幽斎の廟所側が下流となる。現存する石垣として国内最長の総延長400mにわたる菅生川端石垣(城壁)が発掘されたが、その城壁を庭に画いたものだとすれば、岡崎城南側の乙川(菅生川)の南側、或いは乙川と堀との間の籠先堤から見た岡崎城となる。もしそうだとすると細川幽斎の廟所側が上流、正門側が下流となる。この庭のもう一つの遥拝先である、正門から入り方丈(本堂)に至る石畳が指し示す日本武尊白鳥陵。この陵は方丈中央正面、白砂上に盛り土した苔島にて表現されている。この苔島の形は日本武尊白鳥陵(海抜約110m)を上空から見た形に似ている。正門から細川幽斎の廟所方向を見ると日本武尊白鳥陵を模した苔島の少し左奥にクロマツを植樹した苔島がある。この苔島は日本武尊白鳥陵のすぐ東側にある国見山(海抜229m)を表現したものだろう。正門から庭に入り石畳に沿って方丈に向かって歩くことは日本武尊白鳥陵、その陵をシンボル化した苔島に向かって歩くことになる。その際、左側に国見山をシンボル化したクロマツの苔島を見て庭を楽しむことができる。石畳の意匠が小堀遠州の案ということが明確なこと。遥拝先の風景を庭に表現する作風、複数の遥拝先を庭に取り込んでいる作風、これらのことから、この庭の作者は小堀遠州だと断定できると思う。小堀遠州は庭の側から見た遥拝先の風景を庭に画くとは限らない。高野山宝善院の庭では反対側の熊野灘から見た風景となっていた。南禅寺方丈庭園では対馬を90度回転させて見せていた。庭の側から見た遥拝先をそのまま庭に写したとすれば、庭に画いた岡崎城の風景は、矢作川の西岸から岡崎城を望んだ風景となるが、幾何学模様の石畳を籠先堤を表現したものとすると乙川(菅生川)の南側から岡崎城を望んだ風景となる。いずれにしろ方丈(本堂)縁側に座り、日本武尊をシンボル化した苔島を前に庭を鑑賞していると、白砂で表現された矢作川もしくは乙川が轟々と大きな音を立て流れているように感じてくる。それもそのはず、正門外側の側溝を流れる水の速度は早く、水が奏でる琴の音色が白壁、樹木、方丈に囲まれた庭内の空間に共鳴しているからだ。流れる風が爽やかに感じ、鳥のさえずりが心に響く。細長い庭園なので首を正門側から幽斎の廟所側まで約180度回転させパノラマ的に鑑賞する庭になっている。冬になるとサルスベリ、カエデが葉を落とすので東隣の正因庵の屋根の上に東山が望めるが、夏はカエデの葉で東側の借景、白壁まで見えなくなる。カエデを剪定し、少なくとも東側の白壁の一部を見せるようにした方が徳川家康に祈りを捧げる本来の庭らしくなると思う。庭の正門近く、コケ面上に小さな灯篭が一つ置かれている。南禅寺法堂を意識させるためのものかも知れない。その付近の白砂上に亀が泳いでいるような石が置かれている。方丈の東側(幽斎の廟所側)に移動して東庭を観ると庭の風景は一変する。小さな石灯篭は樹木に隠れ見えなくなる。墓所が近いので内省の庭となる。すぐ隣の書院南庭が見たくなる。


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