宝泉院 宝楽園

綺麗なので神の通り道があると思いグーグル地図で調べた。近くの後鳥羽天皇、順徳天皇大原陵と(京都天橋立近く)籠(この)神社を結ぶ神の通り道があった。後鳥羽天皇、順徳天皇親子は承久の乱を起こし敗北し、それぞれ隠岐島、佐渡島に流され、その地で崩御した。神となった両天皇の通り道にあるので両天皇の波乱な生涯を画いた庭となったのだろうか。若狭彦神社上社中心と(比叡山延暦寺)文殊楼中心を結んだ神の通り道は宝泉院客殿の西南端、額縁庭園、宝楽園-実光院の客殿、契心園-三千院圓融房を通過した。気品の良さはこの神の通り道によるものだろうか。庭の東端、樹木の中に庭全体を眺める中心石があり、中心石付近からいきなり深い掘り込みがされ深山幽谷の谷間が作られている。深い谷間に架かる石橋は対岸までつながっていない。石橋は白系の大きな石を組み合わせて作られているので目立つ。天を指す中心石が黒系なので、中心石がずっと奥にあるように見える。枯山水庭園であるが、中心石付近に枯瀧がないので、谷底に敷かれた白砂は谷川ではなくリアス式海岸のような海水が陸地の奥まで侵入してきたように見せている。まるで石橋の先端から海に飛び込めと言っているようで鑑賞者を庭が画く海水世界へといきなり引きずり込む。小説の書き出しに似た引きずり込み表現だ。白砂川は海底の海流にも見える。白砂川には銀閣寺の向月台のような白砂を富士山のように盛り上げた二つの山があり、海底の巨大山を連想させ、鑑賞者を海底世界へと導く。蹲を日時計石組みの頂点に置いているのも斬新だ。これら斬新表現の中に伝統的な三尊石の石組島があり、本園の趣旨である地球太古の創世表現の説得力に付与している。冷たくなった風が吹く季節の紅葉は白砂に映えることだろう。庭に画かれた天の川のような白砂川に人の心の底に潜む自らもコントロールが難しい得体の知れない生命力を感じる。ぐいぐいと鑑賞者の心を庭に引きずりこむ。白砂は峡谷底に天の川が流れているようにも見せる。庭形状が掘り込み谷に爽やかな風が吹くようになっているので、まるで天を取りこんだ天の川が風によって押さえられているようでもある。易経に当てはめると「9風天小畜」位が下の者(風)が、位が上の者(天)を押さえつけている。この卦の象意はいつまでも位が下の者が、位が上の者を押さえ続けることなどできるはずがない。この状況に陥った位が上の者は、時が来るのを待ち、その時に備えて修養をおさめ、怠りなく励むべきだと諭す。承久の乱を教訓とし、自ら権勢をふるうことができない状況となっても焦らず一歩一歩進むべきことを表現している。庭の中には子供の頃、田舎で走り回った山道、子供心に畏敬したひっそりと静まり返った社など、日本の原風景を思い出させる風情がある。この庭は懐かしい過去の世界へと鑑賞者を連れて行ってもくれる。