高瀬川二条苑

主屋から鴨川方向を見ると東山が借景となっている。鴨川を源流とし鴨川と平行に流れるみそそぎ川から大量の綺麗な水が流れ込み、高瀬川源流となっている。明治の庭らしく鴨川に面する庭東端には巨大な石灯籠型の石亭があり、庭に多数の石灯籠が立っている。石亭近くに爽やかな落下水の瀧があり、砲弾型の石が立てられている。鴨川は高野川と加茂川の合流地点から三条と四条の間くらいまで直線に南下している。その直線を南に伸ばすと熊野本宮大社大斎原に到達する。鴨川に略平行に建てられた高瀬川二条苑の主屋は庭を通し南の熊野本宮大社を遥拝している。主屋と廊下でつながっている東の離れは東に駿府城天守閣、南に熊野那智大社を遥拝している。離れと茶室に囲まれた庭は小堀遠州作と伝わるので、東山を借景とした駿府城、熊野那智大社遥拝庭だったのだろう。山縣有朋が七代治兵衛に改修させた主庭の特徴は高瀬川源流を利用し綺麗な水を見せ、風が通るようにしたこと。源流は水害が起きやすい場所なので、両岸をしっかりとした石組で固め、石橋のようなコンクリート橋を架け、橋の縁に角石を並べ、大量の土を被せ、石組に重量を加えた重厚な取水口としている。橋の上にカエデを植え重厚さを隠している。細長い主庭中央に水深浅い、幅の広い高瀬川を流し、両岸に爽やかに剪定した樹木を育て、高瀬川の上に爽やかな風が通るようにしている。清水が流れ川底が見え、水上に風吹く情景は心地良い。易経に当てはめると「61風沢中孚(ふうたくちゅうふ)」孚とは親鳥が爪で卵を捕まえている象。親は子を大いなる愛で包み、子を信じている。爽やかな沢の上に爽やかな風が吹く、その風景は至誠の極み。純真な心の底のように川底を見せ、水の流れに嘘やごまかしがない。人は偽りのない心を持つ、節度、節操ある人を信じる。この庭を前にして、親が子に対する至誠の心を持ち、節度、節操ある交流することを提唱している。庭に立つと主屋と築山の間をすり抜ける高瀬川の水流が速く、水音が響いていることに驚く。鴨川、みそそぎ川の水流音が重なっているので、実際以上の水の流れを感じる。内省を促す水流音でなく、心そのものを洗う水流音だ。これほど水流音が高ければ生活が成りたちにくいと感じるほどだ。思索にも適さないと感じるほどに水流音が体内を通り抜ける。下関戦争、次いで騎兵隊正義派を率いてのクーデター戦、騎兵隊を率いての第二次長州征伐、指揮官としての戊辰戦争、実質的総司令官としての西南戦争、第一軍司令官としての日清戦争、大本営での日露戦争。戦いに明け暮れた山縣有朋が心を洗うに適した庭だ。山縣有朋はこの庭でべったりと心についた血を洗い流し、心にまとわりついた怨念や情念を洗い流したのだろう。