大阪城内 秀石庭

謙虚な庭石

庭の説明文と庭から類推するに打ちのめされた石山本願寺大坂城と豊臣大坂城の主役達を偲ぶ庭だ。その観点から観察すると、前列の石々は石山本願寺住職、顕如ら浄土真宗の宗主。庭中央の中心石は豊臣秀吉。後列の三尊石は豊臣秀頼、千姫、そして淀君。他の石々は大坂城を守る側の英雄達だろう。すべての庭石は瓢箪模様がある鑑賞用石舞台に向いているので、石舞台に上がった鑑賞者は石々と対話が迫られる。(京都)松尾大社「上古の庭」と同じように石々が迫ってくる構図だ。松尾大社「上古の庭」の石々は大東亜戦争を引き起こした人をモデルにした感じで、近代歴史を語っているので生々しい緊迫感がある。こちらは400年以前の大坂城攻防戦で負けた側の人をモデルとした近代以前の歴史を画いたので、爽やかな風に包まれた雰囲気となっている。前回、大阪城の記事で書いたが、ブッダガヤの大菩薩寺と(奈良)旧大乗院庭園を結んだ線は豊国神社の社殿を通過した。旧大乗院庭園内の起点位置を少し変えれば重森美鈴作の秀石庭を通過する。社殿はブッダガヤの大菩薩寺を略遥拝する向きに建てられ、参道も略その向きに伸びている。秀石庭ブロック塀も略その方向となっている。グーグル航空地図で、より正確に豊国神社、秀石庭が向く方向を見ると中国河南省にある南陽武侯祠(なんようぶこうし)に到った。南陽武侯祠は三国時代の諸葛亮の隠遁の地とされる臥龍崗にあり、諸葛亮とその主君、劉備などを祀っているので戦いに敗れたモデル達の遥拝先として不足ない。しかしながらブッダガヤの大菩薩寺と秀石庭の中心石を結んだ4,954kmの線は南陽武侯祠の南約14kmを通過するだけなので、すべての庭石はブッダガヤの大菩薩寺と南陽武侯祠の両方を遥拝していると言える。南陽武侯祠と旧大乗院庭園を結ぶ線、ブッダガヤの大菩薩寺と旧大乗院庭園を結ぶ線は共に石切劔箭神社境内、宝来山古墳を通過するので、神・仏が通過する線上に社殿、秀石庭が設けられていることになる。庭の石々もブッダガヤの大菩薩寺、諸葛亮の祠堂に向かう方向に置かれているので、石々は両聖地と対峙し続けている。日々、両聖地の威光を受け続ける石々は謙虚となっているような気がする。瓢箪模様を画く鑑賞用石舞台から鑑賞者が庭を眺めることは、背後にブッダガヤの大菩薩寺、諸葛亮の祠堂を背にしての鑑賞となり、謙虚となった庭の石々を鑑賞する感じで、鑑賞者と石々が対峙するという感じでもない。太陽エネルギーを受けた石々は輝いている。重森美鈴は以楽公園と同様、石々に同じ方向を見つめさせ、歴史を浮かび上がらせる手法を取った。400年以前の大阪城攻防戦で無念な思いをした人物を石々で表現し、石々にブッダガヤ大菩薩寺、南陽武侯祠を拝ませる構成は素晴らしいと思う。そして庭をブロックで囲み軍人墓地風に仕上げ、第四師団所在地の歴史と掛けあわせている。但し、軍人墓地風に仕上げた手法は大東亜戦争を連想させ殺伐な気持ちにさせられる。ブロック塀を大刈り込みの生け垣に作り変え、鉄枠扉を木製扉に換え、庭周囲の大木を赤松、黒松に植え替え、庭を松林に囲ませて平和祈願の庭とした方が良いように思う。大阪城内には戦争の悲惨さを伝える説明箇所が多く、この庭も戦争を連想させる雰囲気が作られているので、美しい石組が戦場にいる石々となっている。ブロック塀を撤去し赤松、黒松の巨木による江戸時代の美しさを背景とした平和祈願庭のほうが大阪城にふさわしいように思う。大阪城全体を京都御苑ほどのマツ林で覆い、この庭付近など目立つところの城壁に白壁塀を回復させれば、大阪城そしてこの庭は見違えるほどに美しくなると思った。