西應寺(湖南市)

鈍穴の庭が見たく訪ねた。当寺は菩提寺山の東側、東海道石部宿小島本陣跡から北北東2.19km地点にある。菩提寺山には、もと奈良興福寺の別院があり大伽藍があったが、1571年(元亀2年)織田信長の兵火によりすべて焼失した。境内に巨石を持つ故か、巨石を抱くような本堂を持つ本寺のみが再建された。歴史から見て本堂など建屋は興福寺に向いていると思いグーグル地図上に線を引いたが外れた。本堂など建屋が遥拝している先を捜したが、當麻寺方向に向いてはいたが、時計方向に約2度ずれた。当地は元伊勢内宮皇大神社と當麻寺を同時遥拝できる地点にあり、興福寺、多賀大社など遥拝先を得やすい地勢にあるのに遥拝先を持っていない。近年、遥拝を考慮せず建て替えたのだろう。次に神仏の通り道を捜すと(京都山科)毘沙門堂高台弁財天と(名古屋)熱田神宮別宮八剣宮を結んだ線が庭と客殿を通過した。(京都)龍安寺仏殿と(静岡)久能山東照宮を結んだ線が庭と客殿を通過した。この庭の特徴は大きな土饅頭のような築山が連なり、その背後に十三重石塔がそびえていること。庭上空を行き交う神仏が庭へ舞い降りてくることを願う形になっている。土饅頭のような築山の間に谷があり、奥にある大きな石付近から湧き出た枯水が上下ちがいの石橋を通過し、地面を固めて作った枯池に流れ込む意匠が素晴らしい。土饅頭と黒系統の石が念仏の寺にふさわしい。頭が平たい飛び石を多用している。飛び石を伝って左の方に向かうと、谷の中へ下りる部分の石組みの豪快さに感嘆する。築山上には頭を尖らせた石がいくつか置かれていて僧侶が座る姿に重ねている。庭が納骨堂を取り囲んでいる。庭の裏には墓地がある。そのため納骨堂を慰める庭の感もあり、極楽浄土を表現したようにも見える。枯山水にて水を見せない天地一体とした庭なので、大雨が降り枯川に実際に水が流れた時は雰囲気が一変するはず。雨が止み、青空が戻り、水の流れが無くなり、本来の枯山水の庭に戻る時、地面が潤い、庭石や樹木に麗しさがあるので、一気に美しくなるはず。雨上がりを楽しむ庭だと思った。