緑泥片岩の岬が和歌浦湾に突き出ている。紀州藩の海上見張り番所「番所の鼻」と称された見晴らし良い岬で、紀伊水道の中にある大島(男島)、中ノ島(女島)、双子島が目前にあり、遠くの四国、沼島、淡路島、友ケ島も借景とした芝生庭だ。明るい雰囲気が好きで二十数年来、幾度も訪ねているが、易経のどの卦が当てはまるのか判定できずにいた。今回、深山砲台跡展望台から沖ノ島水道、地の島、沖ノ島、沼島、淡路島、大阪湾を望み、次に番所庭園を見学したことで、
海抜がそれほど高くない番所庭園だが、目前に背の低い大島、中ノ島、双子島があることで、深山砲台跡展望台から望んだと同じように、天の位置から海を望んでいるように見せていることに気が付き、易経「10天澤履」虎の尾を踏む危なさを見せていると読めた。
つまり、社会は晴天の穏やかな日のこの景色のように一見、家庭的な愛にあふれた温かさがあるが、実は残酷で危険あふれる激烈な競争、人情味のない徴税、世界のどこかで発生する人と人とが無感情に殺し合う戦争により成り立っており、人の生涯は危険と隣り合わせの社会の中にいることを見せている。
一見、広い海が広がる穏やかな景色だが、台風が来れば海が荒れ、暴風雨で船の運行が出来ず、飛ぶ鳥もいなくなる。霧がでれば航海はできない。落雷や地震は防ぎようもない。大津波が来れば波に飲まれてしまう。一旦、天候が崩れると激烈な競争の中にある社会の職場景色と同じような、いかに難を逃れるか模索しなければならなくなる。崩れた天候のような職場で生き残るため、安易に法を犯し、或いは道徳に反し、他人の足を引っ張り、他人を陥れば、自らが淘汰されてしまう。
それゆえに穏やかな天気日の風景は格別なものとなり、子供時代のおだやかな温かい家庭の中に居るような幸せな気持ちになり、天と海を神のように拝みたくなる。
あらゆる生物は海から誕生した動植物を祖先とする。海は人を含め、あらゆる生物の故郷だ。海鳴りは生まれて来た時の鳴き声に似て人の心を落ち着かせる。
海を見、波音を聞くことで、自らの心を人生の出発点に戻し、自らが生まれて来た理由を思い起こし、天命を思い返す。危険な海波を眺めることで、職場において自分が攻撃されている原因を考え、難を逃れる方法を考えることができる。岸壁を洗う波は人の心を慰め癒し、心のなかに溜まっていた不満や恨みを洗い流してくれる。
職場を例にすれば、自分の実力が発揮できる職場に就職できたことは、生活の糧を得たこと、社会に帰属する地位を得たことになるが、自分の力で生き抜かなければならない苦難の道がスタートする。先ずは平社員だが、平社員という地位が与えられたら、その地位を守るべく他人との間に壁を作る必要に迫られる。地位が上がれば上がるほどに壁が高くなる。それゆえ社歴が長い人ほど他社員と本音での付き合いが減る。
地位が低い時は上を見つめ、いかに上の地位を獲得しようかを考え、上司に喜ばれる仕事をし、成果を上げるが、高い地位につくと、それまでの長い苦労でようやく地位を得た事から、守りに入り、往々にして下ばかりを見つめるようになり、自分の地位を守るために部下を酷使し、自分の地位を脅かす恐れがある部下を潰しにかかる。
潜在的に職場組織にはこのようなしきたりがあるので、それを防ぐため、トップが正道を進み行く姿、組織に与えられた使命を基に仕事をする姿を組織全員に見せ、組織に属する全員にトップに習い正道を進み行き、使命を果たすべく働くようにさせなければならない。それができない組織は保身に走った人たちにより、非人間的な監獄のような組織へと変わり、腐り、社会から見捨てられる。
職場生活において大声で笑え愉快に過ごせることなどないはずなのに、職場で仕事中にそのように振舞う人は、愉快に過ごしたい望みを表現しているか、隠したいことがばれないように大声で笑い威圧行為に入る準備をしているものである。極端にへりくだる人は陰湿な剣を隠し持っていて、何をしでかすか判ったものではない。地位を守るために大声で非礼を働く者がおり、同僚を陥れるために嘘を言う者がいる。不正を働いている者もいる。少し成果を上げると先輩、同僚、部下が牙をむき出し、足を引っ張り始める。恐ろしい上司以外に、実に多くの危険が職場には溢れている。
それら危険を避けるために、ことわざの「出た釘は叩かれる」に学び、おとなしく、出過ぎず、度を超したことは行わず、礼儀を持って人と接し、周囲を観察し学び、自らの実力を向上させ続ける必要があるが、それでも大きく頭を打つことが発生する。その際には良い経験をしたと考え、潔く教訓だと受け止め、自らの実力向上へとつなげ、その職場で働き続けられるように自らのスタイルを作り、自らが座れる場所を作らなければならない。
もし自らの仕事スタイルが否定され、座れる場所が無くされるようなことが起きれば、その職場が自らを必要としなくなったと割り切り、他の職場に移るしかない。天は正道を歩んでいる者を見捨てることはないと信じ、天命に順って、自らがやるべきことをやり続けるのが人生だと、この庭は教えてくれる。
晴れた穏やかな日に、番所庭園でのんびり時間を過ごすと、上司の厳しい叱責を受け降格させられ、職場で罵声を浴びせられることがなく、職場の上司や同僚の陰湿な言葉により心が傷つけられることがない、理想的な職場にいるような心持となり爽快になる。
訪れる観光客が絶えないことにうなずける。