日本帝国陸軍、要塞跡地展望台には易経「10天澤履」虎の尾を踏む危なさを見せる風景が広がっている。軍隊は組織的暴力集団であり、帝国陸海軍は強兵育成のため初年兵に暴力を用いた教育を行っていた。大東亜戦争中、日本青年の大半が入隊させられ、厳しい軍律の中、兵から上級将校までのほとんどの人が職場での悲哀を経験させられた。その雰囲気を漂わせる深山砲台跡展望台から沖ノ島水道、地の島、沖ノ島、沼島、淡路島、大阪湾を望み、易経「10天澤履」虎の尾を踏む危なさを考えていると、軍隊より、日々ノルマに追われる民間企業の方が精神的に厳しく、職場は危険にあふれ、悲哀の深さはより深いのではないかと思った。易経が教える職場の危険を乗り越える方法を書き出すことにした。職場とは仕事場で、そこに自由、平等など無く、自らの生活の糧を得るため皆が命がけで働く場である。その基本から外れた、職場に人間の平等主義を取り入れ、個人生活、個人の自由を尊重した働き方改革を行うべきだと唱えられる時代になったが、実のところ、職場にそれを受け容れる余地は少ない。それぞれの職場には宿命があり、粛々と宿命に沿って仕事をする場であるがため、宿命に沿わない思想者や行動者は職場から排除される。
仕事とは他人を助け、他人を幸せにするための行いで、人助けの報酬を得て成り立つが、効率的な人助けを行うため会社になると、往々に社長が宿命を忘れ、大報酬を得ることを目標とし、仕事の質を低下させてしまう恐れがある。会社は人々を助けるためにあり、職場はそれを生み出す場なのに、多くの人が集まると、ポジション取りの熾烈な競争が発生し、妬み、恨み、羨望が渦巻き、他人を蹴落とす危険な組織になりやすい。
若者には理想がある。学生は自分の得意とすることで報酬がもらえる仕事を探し、自分の理想に近い会社を選び入社試験を受け、新入社員となる。よく最高位と最低位は相通じていると言われるが、会社の社長が理想とし目標にしていることと、新入社員が理想とし目標にしていることが一致していることは多い。会社訪問した際、新入社員の動作、考えから社長の人柄、考えを知ることができる。そのためか新入社員時代は良心に沿って仕事をしておれば、失敗は許される。とにかく自らを大きく見せようとはせず、本来の自分をさらけ出し、無欲、無心にて仕事を覚え、先輩及び上司に認められることを優先しておれば、楽しく過ごせる。
仕事を覚え、自らの判断でブレ無き仕事ができるベテランとなれば、失敗は許されなくなる。仕事ができ、職場から頼りにされていても、或いは人脈や縁故関係を利用し大成果を上げても評価されず、厳しい競争にさらされ続ける。もし、反則手段で成果を上げ、或いは姑息な手段で競争相手を蹴落し、或いは横着にて手抜きの仕事で会社に大損害を食らわせると、たちまち職場に居られなくなる。ベテランは評価されなくとも、職場環境が劣悪な状況となれども、反則、姑息、手抜きを行うことなく、坦坦と仕事を行い、成果を上げ続ける。自らにあまり利は無くとも、正道を歩んでおれば、いずれ天はチャンスをもたらせてくれることを信じ進み続けるしかない。そのように謙虚に成果を上げ続けていても、同僚の妬み、上司の危機感を受け虎に咬まれるようなことが起きる。この立場の者は、それらに反発する権利すら与えられていないので、挑発に乗れば咬まれてしまう。よって、同僚や上司から咬まれないよう、行動を押さえ、耐え続け、或いは有給休暇を取り、通常通りに仕事をやり続けるしか策はない。会社はベテラン社員が技術開発を行い、技術の継承をし、商権維持をしていることを知っているが、あたりまえのことをしているだけだと見なし、低い評価しか与えない。大多数の有能社員はこの地位のまま定年を迎える。当然ながらこのような有能なベテラン社員はサラリーマンの3大禁止行為を行うことは無い。それは社内及び取引先の異性との不純交際、会社の金に手をつける不正金銭トラブル、健康を害すること。この3大禁止行為を行った者は自然淘汰されるので、定年まで勤め上げるベテラン社員こそが会社の最高の財産であり、軍隊で言えば優秀な下士官こそが強軍の礎である。生涯にわたり低い評価の中にあるが、分相応に生きている人は評価されないのが社会であり、職場であると割り切るしかない。
優秀なベテラン社員を従え会社組織を運営しているのは、課長・部長であり、ベテラン下士官と兵を従え軍隊組織を運営しているのは尉官・佐官である。課長・部長に与えられた任務を完全にやり遂げ、責任を果たすことさえすれば、この職責者には多くの部下が直属しているので、愉快に楽しく過ごすことができる。しかしながらこの職責者は、上から下からあらゆるトラブルの解決が求められ、時には部下を犠牲にしてでも解決に当たらなければならず、危険な立場の中にある。課長・部長には最終決定権が与えられていないので、常に中途半端な立ち位置の中、部下を従え、成果を上げ続けなければならず、虎から咬まれることが避けられない。組織の中核に位置し、社員のだれからも目が付く位置にいるので、実力が伴わず少しでも突出した行動を行えば、或いは役員を凌ぐ発言をし、或いは特定の人を攻撃すると必ず誰かに足を引っ張られ、引きずり落され、職場の敗者となる。そのためかこの職位の人に共通するのは、物腰柔らかく、笑い顔が絶えず、控えめで、本人は課長・部長の立場にあることが嬉しいのに、そして役員を目指しているのに、その本心を表に出さず、課長・部長の立場にあることさえ誇りとしない振舞いをしている。危険回避のため、常に公明正大な正しい道を歩き続け、会長・社長の意向を注視し続け、会長・社長の意向に沿い続けることで、恐ろしい職場を生き抜いている。
ベテラン社員、課長、部長の職を経て、社会や職場の恐ろしさを知り抜き、役員になれる人はごく一握りで、人一倍、怠ることのない警戒心、慎重な行動力を身に付けているがために、自分は失敗するはずが無いという過信にて落とし穴に落ちやすくなる。苦労して役員という地位になれば社内外の人から尊重されるために、その地位にしがみ付きたくなり、保守的な行動に陥り易い。現場から離れたので、大問題発生に気付きにくく、大問題を小さな問題だと捉え安易な解決策を取り、災いを大きくしてしまう。長い間、持たされなかった決定権を持ったことで自らの能力が向上したと錯覚し、権利を使って成果を上げると自信過剰となり、社長や会長との対立で失脚させられる恐れがある。夜の付き合いが増え、信用を失ってしまう恐れもある。そのようなリスクを抱えた地位なので、この地位に達した時こそ、自らの地位を脱ぎ捨て、入社した時の原点に戻り、入社時の理想を思い起こし、やる気を起こし、現場に下り、自らが先頭に立ち、新しいことに挑戦すべきだと易経は教える。
大会社のトップ、すべての社員の中心にいる社長に昇れる人は生まれついての資質を持った人だと思う。社長の仕事は天の道に沿って果敢に決断を下すこと。決断にて反感、反発を買うことがあるが、社内の風を時代に合わせて変化させ、会社の天命、宿命に沿い、正しいことを守り、柔軟に寛容の姿勢で行動すれば危険なことに会うことはない。しかし、その逆を行えばたちどころに危険に陥る。そしてヤル気が起きる仕事を求め、会社の理想、将来の夢を求めるベテラン社員や新入社員のために理想と夢を提供すること。それができなければ底辺の社員に背を向けられ、労働争議を起こされる。常に才能ある社員と対話し、才能ある社員の仕事に協力しなければならないと易経は教える。
さらに会長に進むと、これまで職場で経験して良かったこと、悪かったこと、楽しかったことを回顧し、反省し、楽しかったことを実現させ続ける役を受け持つことになる。他社との交流が増え、業界活動に参加することになるので、そこで聞いた意見を取り上げ、或いはベテラン社員、若手社員と接し、特に若手社員の理想話を聞き、社長にアドバイスすることで、より大きな収穫を得ることができる会社になる。苦労した会長ほど、自己反省を忘れないので、会社の現状や、第三者の意見を良く把握でき、大きな収穫を会社にもたらせ続け、本人も大きな収入を得る。
履という歩み続ける意味を持つ職場道においてベテラン社員から会長まで役職者すべてに共通するのは、問題に当たったら、原点に立ち戻り、入社時の理想とヤル気を取り戻すこと。職場は誰かを傷つけ、誰かを陥れるためにあるのではない、仕事は他人の幸せを作るためにある。その原則を踏み外し、自らの利のためだけに誰かを陥れ、或いは欠陥商品を世に出せば後悔する。後悔しないためには無心で就職した時に抱いていた理想を貫かなければならない。
人は何のために生きているのか、それは自らの心、内心を悦ばせるためである。内心を悦ばせるには無心の時に画いた理想に向かって生きることに他ならない。内心を曇らせる快楽を求める欲望では内心を悦ばせ得ない。人の本能欲である先祖から受け継いだ遺伝子を後世に引き継ぐ無心の欲望によってのみ内心を悦ばせることができるように、無心の時に自らが思い画いた理想こそが人の真の理想であり、それを貫くのが人生である。
もし、自らが帰属する会社が欲望で曇り、自らの理想を実現できなくなったと感じたら中途退社すべき時となる。それ以外では退社すべきでない。世間で流行しているスキルを上げるために転職を繰り返す人は理想なく就職活動を行い、ただ社会的地位と高収入を求め、人生の本質を知らずして世間をさまよっている人たちだ。終身雇用を基本とする会社こそが、聡明な社長を生み出し続けることができる東洋思想に合致した日本人を幸せにしてくれる会社だと思う。