淀川⑴

易経「5水天需」需卦

殿ヶ谷戸庭園(2)の記事では地下水が湧き出す次郎弁天池が易経「4山水蒙」蒙卦、啓蒙教育を表現していることから、創生の苦闘を乗り越えて生まれた子が受けるべき童蒙教育について書出した。啓蒙されると、次々と学びたい需要が出てくる。やがて自らを満足させられないほどの学びの需要が湧き出てくる。今回は需の恐ろしさ、欲の恐ろしさを説く易経「5水天需」需卦を書き出した。写真は需卦の雲の下に天がある淀川風景を乗せた。啓蒙教育を受けた水は規則正しく流れ小川となり、大河となり海に注がれる。海に至るまでの流水は無償で、有益に使われている。海や河から蒸発した水は天に浮かぶ雲となり、やがて雨を降らせる。「需」の字は雨の下に天がある形で、前に進みたいが、まもなく雨が降り出すので雨を避けなければならない。雨の中を進めば危険なので、雨があがるのを待つべきだが、剛毅で男らしい天のように危険な境遇に飛び込んでも良い、或いは危険を回避し雨が過ぎるのを待っても良い。どちらを選択しても智恵と決断力で危険を回避しなければならない。前々回の記事にした「3水雷屯」屯卦は生まれる困難とその対応を、前回記事の「4山水蒙」蒙卦は生まれた子への知識教育の必要性を、今回の「5水天需」需卦は目前の困難を避けるためには、正直な心を持たなければならず、積極的な回避行動を通して智恵を育まなければならないと教える。童蒙を脱し知識を得ると、もっと知りたい、何かをやりたい、何かを所有したい需要がやって来る。そして人は容易に需要の虜となり、自らが必要とするもの以上のものを求め、やがては果てしない欲望に捕らわれてしまい、心がかき乱され、危機的状況に陥る。仏教の禅宗系では悟りや無の境地を得るために世俗から離れ修行に入るが、僧侶は一般人に座禅を勧めても、世間には世間のしきたりがあるとして修行を勧めず、修行姿を見せることで煩悩解消術を一般人に見せている。浄土系では阿弥陀如来にすがることで煩悩が解消できると説く。日蓮系では日々の修行を通し自分をコントロールできる人間になれると説く。需要は社会を発展させるので、いずれの宗派も一般人の欲、需要を否定しない。需要や欲の壁を乗り越えるには、先ずは多くの知識を習得しておき、次に自らの需要や欲と戦うことで智恵を学び、知識と智恵で困難を乗り越える。食事前に仏教徒は目前のご飯を見て、農民が水田の水管理にて米作し、出来上がった米は多くの段階を経て料理人に届けられ、調理されたことを連想し、それに関わった多くの人の汗水に感謝する。米作、物流、調理は知識で行われ、それらの労働は智恵で行われる。知識と智恵が無ければ煩悩すなわち需要や欲を乗り越えることはできない。それは食欲を満たす食事だけではなく、金銭収入を得たら、その金銭はどのようにして生み出され訪れて来たのか。自動車を購入したら、その自動車はどのようにして作られ、自らの手元にやって来たのかを深く考えることで、金銭を使うこと、自動車を運転することにて発生する社会における自らの責任を推測することになる。次から次へと湧き出て来るすべての需要や欲を追求すると時間を浪費し、体力を消耗し、やるべきことを放り出してしまい、前面に控える危険に衝突することになってしまうので、自らの心に正直になり、需要や欲の合理性を考え、本当に必要なものは何かを突き止め、必要なものを得るために忍耐強く待つことになる。待つ時には剛毅で男らしい天のような気を持ち、智恵を巡らせ、知識を発揮して危険を回避し、チャンスが巡ってきたら積極的に前進できるように準備しなければならない。前方に現在の自己能力では突破できない大困難が待ち受けているから待つのであり、自己を知り、自己をコントロールする智恵を育ててこそ待つことができる。自己能力が発揮できるチャンスがくれば即時出動する。そのためには自分に正直になり、自分と約束ができる力がなければならない。そのような人は他人から信用される。例えば国家試験の合格を必需としている人にとっては、合格までの期間は待つ時期、猛勉強を続けている時期。それは郊外にて将来、自分が活躍する喧噪な街に憧れを持ちつつ家族に見守られながら静かに学習を行っている状態。無茶な短期学習、無理な受験は不合格通知で心に傷が付くので、時間をかけ学習に取り組む必要がある。国家試験に合格してもすぐに活躍できる訳ではなく、合格後も引き続き実務学習を重ね、功名、功績を得ることを必需目標にしてチャンスを待つことになる。いきなり社会の荒波に突っ込むことは危険なので、龍が湖水で実力を蓄えチャンスを待っているような生活に入る。チャンスを掴めれば成功できる。なかなかチャンスが掴めず長く待機させられている不遇な実力者は、チャンスは必ず巡って来ると信じ、待機し続けるしかないが、長く待機した人ほど忍耐力を養っているので、成功後も、初心を忘れず、耐える心を忘れず、謙虚で、仕事を中途放棄しないので成功が長く続く。若くして大成功した人の事業は長続きしないと言われるのは待つ経験が少ないからだと思う。困難を乗り越え結婚した夫婦でも初心や正直さを忘れ、忍耐力を失い、相手に求めすぎると破局する。不合理な欲として例えば、無秩序に色欲を満たす行為は心身の健康を損ね、家庭を破壊し、性依存症になる。ブランド品により自己顕示欲を満たし続ける行為は社会性を失い、経済的困窮に陥る。人に対し支配欲を発揮する行為は被支配者の心を潰し、社会や組織に弊害をもたらす。他人を蹴落とし名誉欲、出世欲、生存欲を満足させれば他人や自分に後遺症が残る。往々に他人を刺激する行為は危険が伴うので、他人に刺激を与えない範囲内、他人に不快な思いをさせない範囲内で欲は満足させなければならない。自分を見失ってしまうような需要、一時的な興味、一時的な感情の高まりは危険なので、これら衝動的行為は避けるべきだ。特殊な需要品の銃、爆発物、薬物、化学物質などはそれぞれが持つ能力を正しく使えば有益だが、使い方を誤れば有害になる。人も同じで、それぞれの人の能力を正しく使えば社会貢献ができ、能力の使い方を誤れば社会を破壊する。誰しも欲や需要が有り、それを満足させるために生きている。自らに自らの精神状態は正常なのか、需要は合理的なのか、正道を一歩ずつ 一歩ずつ前進しているのか、他人を挑発するようなことをしてないか、他人から妬まれる行為をしていないかを問い、進むべきである。自らの需要を満足できたら自分の家、家族が社会でどのように評論がされているか、家風を損なうことは無かったか。他人から恨まれる行為はなかったかを省み、子孫に災いが起きないように配慮すべきだ。需卦の真の意味は、自らの欲や需要を合理性があるように調整し、適度な所で欲や需要を止め、貪らないことにある。成功に至るまでの行動は上に進み、止まり、正しく歩き出す姿だったのか検証し、改めるベきことは改めておかなければならない。それらを怠ると、「5水天需」需卦をひっくり返した、次の「6天水讼」訟卦、訴訟状態に突入してしまう。