
白鷹禄水苑(西宮)
庭に佛像石と佛石が置かれている。伝統的日本庭園で赤い前垂れを結びつけた佛像石を見たことがないので、東南アジアの庭を連想した。しかし庭には比較...
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庭に佛像石と佛石が置かれている。伝統的日本庭園で赤い前垂れを結びつけた佛像石を見たことがないので、東南アジアの庭を連想した。しかし庭には比較...
切れの良い日本刀のようなシャープな作りだがデザインは伝統的だ。借景の(海岸址)松並木と同調する池周りの6本の背の低いクロマツが池水を引き立て...
1941~43年(昭和16~18年)海運業者(貸船業)、又野良助が私邸として建てた。平らな芝面を強調した庭なので一見、西洋風の庭に見えるが、...
当別邸は三木山の緩やかな山裾斜面に土を入れ小高くし、石垣と木塀で囲い、渓流の水を取り入れ、澄んだ池を中心にした主庭とその先の借景丘陵を上段の...
当寺は1575年~1579(天正3~7年)明智光秀が行った丹波攻略最後の年に全山焼き討ちされ、1790年(寛政2年)寛政の改革が行われていた...
方丈の西南に雪舟庭がある。古代より信仰される岩戸山(日室ヶ嶽)頂上とスサノオが一宿したと伝わる(西の比叡山と称される)圓教寺の開山堂中心を結...
黒井城のふもと興禅寺は戦国時代に生まれた春日局の生誕地と伝わるが、明智光秀と赤井直正が戦った黒井城と興禅寺に戦国の雰囲気はなく、洗練された女...
(前期)柏原藩は信長の弟、信包から始まり52年続いたが(孫)3代藩主、信勝に男子なく1650年断絶、天領となっていた。1695年(元禄8年)...
明石海峡を通過する船上にいる人々に見せる城だった。1617年(元和3年)、江戸期第二回朝鮮通信使を迎え入れた年、信濃松本藩主だった小笠原忠真...
天空を反射する白壁の大天主、西小天主、乾小天主、東小天主が聖人のように立っている。池田輝政が聖人を天主で表現したのだと思う。歴代藩主は日本一...