
旧河澄家(東大阪)
グーグル地図で主屋の南北の遥拝先を求めたが特定しにくかった。一つは北に(印空寺)旧御室御所茶所を南に(高野山)金剛三昧院本堂を遥拝する線。両...
庭が語ってくれる 庭が教えてくれる
グーグル地図で主屋の南北の遥拝先を求めたが特定しにくかった。一つは北に(印空寺)旧御室御所茶所を南に(高野山)金剛三昧院本堂を遥拝する線。両...
当地は江戸中期まで砂の堆積する大和川河口部で、海岸線は約1㎞東にあった。加賀屋甚兵衛が砂地を干拓、1754年(宝暦4年)代官による検地後、加...
雪舟(1420年~1502年頃)より二回りほど年下の相阿弥が作庭したと伝わる。理由は不明だが本能寺の変があった1582年(天正10年)兵火で...
織田長益の活躍 1582年(天正10年)本能寺の変の際、旧二条城にいた織田長益(有楽斎1547年~1622年)は安土城、岐阜城へと逃避した...
大阪では数少ない江戸庭園。思っていた以上に小さく、小さな崖のような急斜面に石を埋め込んだ単純構成の枯山水庭園。庭の上部に板塀があり墓地の目隠...
天は上に上にと昇り、水は山上から海に向かい下り続ける。しかし、この庭に借景山はない。よって瀧水は川から流れて来たものではない。しかし瀧口が天...
国際庭園エリアの中で唯一際立った美しさを放ち続けている。その理由を探ってみた。遥拝を意識して作ったが如く、大興門、四角の池(東と西の護岸)、...
小さな簡素な庭だが惹きつけるものがある。それを探るため先ず地理と歴史を調べた。1561年(永禄4年) 細川晴元(1514年~1563年)を幽...
謙虚な庭石 庭の説明文と庭から類推するに打ちのめされた石山本願寺大坂城と豊臣大坂城の主役達を偲ぶ庭だ。その観点から観察すると、前列の石々は...
消された江戸時代の美しさ 天守閣から大阪砲兵工廠の焼け跡を幾度か見たが、子供心になぜ片付けをしないのかと思った。立派な石垣の大阪城を見慣れ...