
東南寺・坂本城跡
先の記事に書いたが(黒井城下)興禅寺の堂宇が落成したのが1626年(寛永3年)、興禅寺には大神山神社奥宮と当寺境内の地蔵菩薩像を結ぶ神佛の通...
庭が語ってくれる 庭が教えてくれる
先の記事に書いたが(黒井城下)興禅寺の堂宇が落成したのが1626年(寛永3年)、興禅寺には大神山神社奥宮と当寺境内の地蔵菩薩像を結ぶ神佛の通...
志賀の陣にて二カ月以上、宇佐山城に貼り付いた信長は比叡山に籠る浅井・朝倉軍の兵糧を断つ目的で、坂井政尚ら一千を堅田(かたた)に送り込み、補給...
織田信長の躍進(17) 本堂は約32km先の(信長軍が無血開城させた観音寺城跡)観音正寺本殿を遥拝している。本堂から観音正寺本殿方向を見て...
織田信長の躍進(16) (京都)細川忠興建立の大徳寺高桐院で千利休を偲ぶ石灯籠と茶室を拝見し、豊臣秀吉建立の大徳寺総見院で織田信長の木造、...
織田信長の躍進(11) 特に天守及びその周囲の城壁(石垣)は髑髏を積み重ねたように妙に白く輝いている。安土城址全域が摠見寺の所有となってい...
織田信長の躍進(10) 姉川の合戦の2年後1572年(元亀3年7月)、信長は小谷城の西南向かい、わずか500mしか離れていない虎御前山(標...
織田信長の躍進(8) 1570年(元亀元年6月末)姉川の戦いに勝ち、横山城を手に入れ、佐和山城の兵糧攻めを始めた信長に困難が降りかかってき...
織田信長の躍進(7) 金ヶ崎の戦いに3万の軍が京都を出陣したのは永禄13年4月20日(西暦1570年5月24日)、金ヶ崎城を占領するも朝倉...
織田信長の躍進(4) 越前朝倉氏で低い身分で勤め始めた明智光秀が、一乗谷で入洛(じゅらく)の機会を探っていた足利義昭に、入洛を助けてくれる...
石の鳥居を潜り参道を少し進んだところに庭入り口がある。入口から見ると多くの庭石が荒々しく迫ってくるが、庭に入り、そびえ立つ一つ一つの庭石を見...