長浜別院大通寺 含山軒庭園

伽藍が向う先(遥拝先)には東に(伊吹山三合目付近)太平寺集落跡、西に(福岡県)宗像大社中津宮、南に(三重県松阪城内)松坂神社、北に(福井県)鉾島神社がある。太平寺集落跡と宗像大社中津宮本殿を結ぶ神の通り道(A線)は本堂と広間の中央部を貫き、松坂神社本殿と鉾島神社本殿を結ぶ神の通り道(B線)は本堂と山門を通過する。AB線は本堂で直角に交差しているので、交差点に本堂を建てたことが読み取れる。伊吹山頂日本武尊石像と厳島神社本殿を結ぶ神の通り道(C線)は本堂と広間の北側縁を通り、本堂でAB線と交差している。(竹生島神社)都久夫須麻神社と(静岡)奥磐戸神社(小國神社奥宮)を結ぶ神の通り道(D線)は当庭につながる北側の庭でB線と交差している。このように多くの神の通り道が当寺で交差しているので、庭は神の降臨地となっている。庭説明ボードに「(含山軒)東面には第五代住職の横超院真央(1721~91年)の頃の作庭と考えられる含山軒庭園(国指定名勝)を設ける。庭園は枯山水庭園で、手前の平地を池に見立て、この池の中央やや右よりに石を積んで島をつくり石橋をかけ、左手奥の築山上に立石を組んで枯滝を表現する。植え込みは高木を左右に分けて配し、この植え込みの間から約12キロメートル東方にそびえる伊吹山を借景として巧妙に取り入れている。」「横超院真央の内室である嘉寿姫(彦根藩第8代井伊真惟の8女)の寄進によって大通寺広間、附玄関が増築された。」と説明されていた。説明文と庭の姿から、庭は彦根藩築庭の武家庭園であり、住職の部屋から伊吹山に登る月や太陽を拝むために作られたことが推測できる。襖絵には冬日に鳩が木に止まっている様子が画かれているので、雪化粧した伊吹山に昇った太陽や月の光が部屋に差し込む時、霊峰の気が部屋に充満し、白く輝く伊吹山が迫って来るよう設計したのだろう。鳩の意味は執着心が強い、信心深いことなので太陽・月・伊吹山に向かい念仏を唱えることを提唱しているのだろう。伊吹山と庭がつながっているように見せるため伊吹山に向かって右側にアラカシ、左側にナナミノキ、マテバシイなどの大木を、手前にマツ、カエデ、更に手前にサツキを植えている。庭の先、大通寺公園の紅葉した木々が豪華な庭に見せている。枯山水の川は伊吹山から枯水が流れて来たように見せている。石組された石々は神々しい石と人間臭さあふれる石を取り混ぜているので伊吹山の神(日本武尊)と人との一体感がある。庭は住職の部屋からのみ楽しめるので、住職に伊吹山を日本武尊と見させ、日本武尊を心に取り込ませ、日本武尊の努力で今があることを心に刻み込ませるために彦根藩が作ったと読んだ。含山軒に茶室が隣接している。茶室を包み込むような含山軒北側の庭にはクスノキの大木があり、松、イヌマキ、カエデなど江戸庭園樹木があり、かつては水を張っていたような池がある。池を取り囲む石組みには人間臭い形の石も使っているので暖かさがある。かつてこの北側の庭には茶室を併設した建屋があったはずで、こちらの庭も伊吹山を借景としていたと思うが、現在、建屋は無く、東隣の大通寺公園の樹木、周囲の住宅にて伊吹山が見えず、庭の目的が読み取りにくくなっている。本来の目的どおりに復旧させれば見違えるほどに美しくなると思った。