三上山

独立峰で巨木の無い三上山頂上付近の登山道は明るく神々しい。どこか玉置神社境内及び玉置山頂上付近の雰囲気に似て、神の領域を歩いていると感じる。三上山展望台から比叡山が遥拝できる。近江富士と呼ばれる美しい山で、頂上奥宮の正面にある奥津盤座は神が宿るといわれている。山頂付近には信仰の対象となるような多くの岩石が露出しており、イザナギ、イザナミ以前の太古から信仰されていた山だと思った。三上山の麓にある三上山を神体山として祀る御上神社の本殿、拝殿、楼門の向きは南北方向には略、北を、東西方向には東に三上山頂上を遥拝している。最近、グーグル地図は2点を結ぶ距離線を地球の丸みに沿って表示しなくなったので、遠方の遥拝先が特定できず、神社境内に通る神の通り道も正確に判別できなくなっているが、少なくとも比叡山、上賀茂神社、愛宕神社、清和天皇水尾山陵、下賀茂神社など聖地と三上山頂上を結ぶ神の通り道は御山神社の境内を通過している。ウイキペデイア「三上氏」の記事には「『御上神社沿革考』によると、三上山は天照大神の父母神、伊弉諾命と伊邪那美命の墳墓である」と記載されている。御上神社の説明板には「孝霊天皇6年に、天之御影神が三上山に御降臨になった・・・養老2年勅命によって現在地に社殿を造営」と説明されている。三上山にイザナギ、イザナミが葬られたこと、孝霊天皇は第7代天皇、天之御影神はスサノオとアマテラスの孫、養󠄁老年間は717年から724年まで、これらのことから次の推測を行った。現在に続く天皇家の始祖イザナギ、イザナミは山を墓地とし、墓標とした。その後、神道は山に似せた形の古墳信仰へと移行した。神社で神を呼び寄せる様式になるまで各地に社殿は無く、祖先や先代が眠る山や古墳を直接遥拝し信仰していた。城之越遺跡の記事で書いたが、生年、没年、在位年が確証されている最先代天皇は第33代、推古天皇(在位期間593年~628年)。平成が終わった2019年から数え推古天皇在位開始593年までは1426年間、93代で割り算すると平均在任期間は15.33年(平均年①)となる。この平均年①から算出した125代前の神武天皇就位年は西暦102年頃となる。生年、没年、在位年に?が付いている最先代天皇は第26代、継体天皇(在位期間507年?~531年?)。平成が終わった2019年から数え継体天皇在位開始507年?までは1512年間、100代で割り算すると平均在任期間は15.12年(平均年②)となる。この平均年②から算出した神武天皇就位年は西暦129年頃。上記①②による神武天皇即位紀元は西暦102年~129年頃となる。神武天皇はスサノオ・アマテラスの五世孫ということなので、①②から計算したイザナギ、イザナミによる日本統一事業完成は西暦26年~53年頃、天皇中心の現政治体制のスタートは新羅が国を開いた紀元前57年から83年~110年後、神話を元に類推すれば新羅帝とイザナギ・イザナミは親族で、新羅の支援で日本統一事業が行われたと読める。上記からイザナギ・イザナミが三上山に埋葬されたのは1世紀のことだと読め、それまでの原始信仰の聖地、三上山をイザナギ・イザナミの墓にして神道を開始し、山岳信仰、古墳信仰の基礎を三上山信仰にて作ったと読める。次に、上記①②から計算した第7代孝霊天皇在位開始年は西暦152年頃~194年頃で、当時の日本の2年は現在の1年説があるので、西暦197年~219年頃にスサノオ・アマテラスの孫、天之御影神が三上山に御降臨になった。つまり、西暦197年~219年頃に当地の領主に就任した。養老は717年~724年なので、御上神社は718年に造営されている。神道は中国仏教の伝来により導入された伽藍建築に習い、鳥居、拝殿、本殿を整え、現在の神を呼び寄せる神社形式へと変化した。仏教公伝は552年もしくは538年なので、仏教公伝の166年~180年後に御上神社が造営されたことになる。山岳信仰から神社信仰への移行は相当な年月を要したことが読み取れる。神社の優れたところは、信仰山、古墳から離れた市街地においても神を呼べ、居住地域において神道、つまり祖先信仰が行えることにある。都会において神社が大型マンションに囲われると神の降臨がなくなったと感じるので、上空に神の通り道があるのは紛れもないと思う。伝統的な神社仏閣は皆、遥拝先を持っており、遥拝線が神佛の通り道となり、神佛の通り道の下に大小の神社仏閣が配置されている。或いは大型の寺社仏閣を結んだ線が神佛の通り道となっている。日本国土には無数の神佛の通り道があり、市街地においても神を呼びやすい環境整備がされている。伝統的な日本庭園は神佛の道を意識して作られている。日本が神の国と言われるのはこの環境下にあるからだと思う。日本には神社信仰と仏教信仰、二つの大きな信仰の柱がある。明治維新までは神仏習合されていた。神仏習合によりヒンドゥー教と同じく、祖先信仰、血脈信仰、自らの心を信じることが同時に行われるので、非常に合理的な総合宗教になる。神社信仰により、神の良い気を体に取り入れることができ、心を綺麗にすることができる。仏教信仰にて心の在り方を習い、心の欲望、妄想、嫉妬、不安を拭い去ることができる。今も日本民族は仏教と神道という二つの信仰を合わせ持ち、使い分けることで、気と心を使い分けている。気と心を使い分けることで洗練された文化を生み出して来た。外国には祖先崇拝を基にした神社のようなものが少ない。神道と仏教を使い分け信仰して来たことが、日本の独自性であり、日本人の精神的な基本となっている。祖先が住む三上山を御神体とした御上神社の祈りにて三上山は輝き、日本中に聖なる気が送り続けられている。