五個荘 外村繁邸

隣の外村宇兵衛邸と同じく伊吹山山頂と(奈良)五条猫塚古墳中心を結んだ線が庭を通過し、その線付近に石灯籠が据えられている。更に、主屋、蔵など建屋が伊吹山山頂と五条猫塚古墳を遥拝する向きに建てられているので、主屋の仏間で拝むことは伊吹山と外村宇兵衛邸を拝むことに通じている。神の通り道にある恵まれた邸宅庭園で、この遥拝線は近くの浄栄寺本堂と弘誓寺の境内を通過しており、弘誓寺の本堂、門前の水路も伊吹山山頂と(奈良)五条猫塚古墳中心を遥拝する方向に建てられ、伸びてている。浄栄寺と弘誓寺の門前の水路が美しいのは神の通り道に沿っているからだろうか。主屋内で蔵へ向かうところの廊下の端にガラス戸があるが、この先に伊吹山があるので、ガラス越しに見える小さな庭にて伊吹山を遥拝することもできる。主屋から庭を見て15km先に永源寺があるが、主屋は永源寺に向かって1~2度、時計回り方向にずれているので永源寺を遥拝する庭ではない。小堀遠州が作庭したならば、上述の遥拝線に沿って薄い板石を立て、主屋の主人が座る席から永源寺方向を見た所にその薄い板石を据え、永源寺遥拝の目印とし、庭に築山と大刈込で伊吹山を中心とした近江の風景を画き、神仏を呼び込む庭としたことだろうが、築山はなく波打つような大刈込もないスッキリとした平庭となっている。樹木をできるだけ垂直に育て、自然風景と違った風景にして、風が通る爽やかさ、自由な雰囲気を漂わせることに力を注いでいる。生け垣にツバキではなくクロキ、アラカシを使っているところが近代庭だと感じる。庭中心に据えられた天を指す大きな石灯籠にて所有者の財力、権威を表現しようとしたような気がしてならないが、富を誇示する超巨大な石灯籠や池がなく、深い掘り込もなく、爽やかな風を楽しむことを第一にしている。単純化した謙虚な庭によるものか魅力があり、近代庭園の手本となっているように感じた。二階から庭を見ると、借景が加わり、更に清々しい。庭の上に神の通り道があるので特別に清々しく感じるのかと思った。