彦根龍潭寺

小堀遠州が協力して作った庭

飛び抜けて美しい庭は一言で表現できない。方丈南庭「ふだらくの庭」は敷き詰められた白砂の中に苔面の三つの島があり大陸がある。中央の島に観音さまを模した中心石が立っている。庭は禅宗を日本へ伝える帰国航海途上の恵萼(えがく)の故事を画いている。中国舟山群島の一つの島、普陀山で船が進まなくなり、観音像を下ろし普陀山に安座した情景を白砂、苔面、48個の石にて表現している。一見、現代庭園のように見えるが、現代庭園によくある一つの故事だけを表現する庭ではない。一言で表現できない美しさから故事以外の意味があることを感じる。立つ石は前傾にも後傾にもなっておらず禅僧が崇高に立つ姿となっている。ズングリとした石は禅僧が座禅する姿となっている。平らな石はその上に座り方丈に向いて座禅することを促している。計48石の数は何を意味しているのだろうか、「四方八方」「釈迦降誕4月8日」「易経第48水風井;井戸が天下萬民を養う象、君子が優秀な人材を引き上げる意。井伊家の頭文字の井」に掛けたものだろうか。庭内の約1/3の石が立ち、約1/3の石が座り、約1/3の石が平らな石となっている。庭の東側には方丈から西の大洞観音堂へと延びる底上げ式屋根付き廊下が配され、廊下の向こう側に一面に水を張った池がある。池は当寺の名前「龍潭」(龍がひそむ水をたたえた深い窪み)を表現している。庭園を取り囲む大木の枝が天に向かって伸びている。方丈廊下に座って鑑賞すると視線がおのずと天に向かう。秋は風に吹かれた木の葉が白砂の上に舞い落ちてくる。ゆっくりと落ちてくる木の葉に気が取られ時が過ぎるのを忘れる。水をたたえた池の底には龍が潜んでいると感じるほどに幽玄で、大木で光が遮られた池は光に満ちた白砂を際立たせている。大洞観音堂と大木を借景にした単純明快な庭であるが、白砂と苔面が表現する浙江省の海と普陀山が中国大陸を連想させる。禅寺の持つ宗教的雰囲気が庭に加算されている。遥拝によっても美しさが加算されていると思い地図を開いて驚いた。庭の南、熊野灘までの間に遥拝先となる聖地がない。方丈の南の聖地を遥拝する庭ではない。それもそのはずで当寺の後方には曹洞宗総本山永平寺が控えていた。永平寺の法堂を起点とし当寺と線で結ぶと、その線は永平寺の中雀門、山門の中央は通らないが二つの門の開口部を通過し当寺に至る。つまり永平寺の多数の仏像の目線の先に当寺がある。且つ当寺の方丈、庫裏、大洞観音堂、「ふだらくの庭」東側廊下は永平寺に向けて建てられている。次に驚いたのが方丈から南にわずか約330mのところに石田三成屋敷跡があった。永平寺法堂と石田三成屋敷跡を線で結ぶと、その線は当寺を貫いている。方丈から「ふだらくの庭」を鑑賞することは、永平寺を背にして石田三成屋敷跡を見つめることにつながっている。佐和山城の戦いで石田三成の父、兄、妻など石田一族が不遇の死を遂げた歴史のせいか、この庭の約330m先に石田三成の屋敷があると知ったせいか、庭に石田一族の影を感じてしまう。不遇の死を遂げた石田一族のことを連想してしまう。カエデを多く植樹しているのは鎮魂の庭の意を込めたからだろう。方丈から見た庭は、庭の石々が方丈方向を向いているので、庭石が当寺の仏像を見つめ、鑑賞者を見つめ、永平寺を遥拝している。逆に言えば、石々が永平寺から送られてきた気、当寺の仏像が発する気を方丈に向け反射している。庭は大木に囲まれ天上から降り注ぐ太陽光が神聖に感じさせる。白砂に反射した光が石々を輝かす。よって庭の石々は永平寺と当寺のパワーを受け止め輝いているように見える。南に遥拝先を持たないが背後に永平寺が控え、その聖なる気を石々が反射する純粋な宗教庭園となっている。更にこの庭は浜松龍潭寺の庭とは異なり鑑賞者に大海とは何だ、瀧とは何だ、水の本質とは何だと問いかけて来ることが無い静かな庭である。正に観音さまを模した中心石とそれに従う石々が、観音菩薩の人々を救済しようとする世界を表現している。JR線が近くに通っているので、たまに通る列車の金属音以外、佐和山に包み込まれた庭は静かである。縁側に座り庭をながめることと心地よい。清涼な中に心が温まる。48個の石と白砂が放出する太陽光エネルギーが心を温めてくれるのかも知れない。大木の上に広がる青い空、動く雲、風に揺れる木々、それらに連動して変化する白砂上の陰、池から溢れた水が方丈前を通過し排出されている。風の音、虫や鳥の声。自然の変化を豪快に見せてくれ、聞かせてくれ、静寂な中に禅寺特有の緊張感を漂わせている。白砂のスクリーンに自然の変化が投影されているので、清廉で整然とした庭を前にして座り白砂を見つめていると、頭の中が目前の白砂のように真っ白になる。方丈廊下から見る庭は宗教的な優しさと厳かさがある。次に、建屋の東西方向を調べると、東に聖地となる遥拝先はなく、西に中国禅の発祥地である嵩山少林寺(曹洞宗)があった。当寺から少林寺までの距離は2,125㎞、両者を結んだ線、当寺から325㎞地点で線上から約6㎞南に出雲大社がある。当寺は西に少林寺を遥拝しているが、角度にして約1度南の出雲大社も拝むことにつながる。当寺が福達磨を祀っている理由が少林寺遥拝から来たことを建屋の遥拝先から知った。底上げ式屋根付き廊下が立派な作りとなっているのも遥拝のためだ。この庭は底上げ式屋根付き廊下から庭を見ることで、はるか先の少林寺に思いを馳せ、禅宗の起源を思い起こさせることができる。庭に中国大陸を画いた理由も納得できた。この庭にマツは植えられていないので神が降臨するのを待つ意はなく、観音さまが住む庭という意味になっている。「ふだらくの庭」は方丈の廊下から見ると宗教庭園に、底上げ式屋根付き廊下から見ると遥拝庭園となる。2つの顔を持っている。当寺は臨済宗妙心寺派であるが、当寺の南西方向に隣接する曹洞宗の清凉寺の建屋は意外にも北に曹洞宗大本山永平寺、西に少林寺へ向いておらず全く違う方角に向いている。地図で調べて見ると南に熊野本宮大社大斎原を、西に中国五台山を遥拝していた。南に熊野本宮大社大斎原を遥拝する寺院は多いが西に五台山を遥拝する寺院はごくわずかだと思う。五台山は日本へ最初に禅を持ち帰った恵萼(えがく)が中国滞在中、毎年登っていた霊山で別名、清涼山。寺の名前からも隣の清凉寺は五台山を遥拝していることが推測できる。余談になるが当寺が少林寺を、清涼寺が五台山を正確に遥拝していることから徳川幕府は中国の聖地の位置を正確に掌握していたことが判読できる。通常、永平寺のような大型寺院の本尊の目線の先に寺社を建てないものだが、石田三成屋敷跡が永平寺の本尊の目線の先に位置するので、そこが聖地とならないよう、その目線上、石田三成屋敷跡の少し手前に清凉寺と当寺とを建立し目隠ししたのだと思う。そして永平寺に対し不敬にあたらないよう禅宗が日本に入ってきた経緯を建物全体と庭で表現したのだと推測した。当、龍潭寺の山門は中国で見られる仏教寺院と同じものに見える。中国禅を継承している意を込めたのだろう。山門に至る参道は箱根の神山(霊峰)の方向に伸びていた。尚、永平寺の法堂、仏殿、中雀門、山門の中央を結んだ線は彦根藩によって再興された青岸寺(曹洞宗)に至る。青岸寺の本堂、書院は永平寺にピッタリと向いている。「蓬莱池泉庭(鶴亀蓬莱庭園)」書院から東に望む庭。この庭も一言で表現できない。見せ場がいくつもある。一つ目の見せ場は書院の目前に池が有り、書院の沓脱石から平らな面を持つ飛び石が、左右2方向、池の中へと伸び、築山へとつながり佐和山の一つの峰に向かうように見せている。飛び石に沿うようにサツキの丸刈りがテンポ良く配されているので、建屋から池の飛び石、築山の飛び石を伝い、峰へ向かって歩いて行け、そのまま天まで至れるように見せている。足元の池に目を戻すと緑色にくすんだ池の中でザリガニ2匹がハサミを開いていた。足元の池が佐和山の峰を高く見せ、書院へ迫って来るように見せている。二つ目の見せ場は庭左端にある枯瀧、対話型の枯瀧。方角的に見て書院内から枯瀧を通し霊峰伊吹山と対話するためにあると思う。三つ目の見せ場は亀の頭が向いている方角。「ふだらくの庭」に通じる水路があり、その水路が谷のように奥につながっていて、佐和山山頂を意識させている。四つ目の見せ場は山裾を利用した築山上置かれた多数の石、そして石塔。それぞれの石は大きくもなく、小さくもない。これらの石々と石塔は遥拝目印、或いは遥拝先を示しているのだと思う。書院から東に見る庭の先には日光東照宮、名古屋城、岡崎城、駿府城、江戸城、富士山、久能山東照宮、浜松城など彦根藩が遥拝すべき地点が多い。日光東照宮と彦根城本丸とを線で結ぶと当寺を通過した。庭のどの石が日光東照宮を遥拝する目印石か確定できなかったが、築山に配した石々はそれぞれ遥拝先の目印になっているはずだ。この庭も鑑賞者に何かを問い合かけ、鑑賞者と対決するようなところがない。自然の流れである風の流れ、風によって揺れる葉から発せられる水流のようなサウンド、佐和山の峰に向かって延びる築山、その先に広がる空を素直に楽しみ礼拝し、枯瀧と対話する庭だ。左手の枯瀧、木々が発する音、書院に向かい迫って来るような木々、そして右手の建屋が赤く塗られているため「ふだらくの庭」と同様、庭に緊張感が漂っている。築山上に多数の石を置き、多数の遥拝先を持っているせいか賑やかな庭となっていた。「書院西庭」少林寺を遥拝する書院西側に庭があるが、西日が差し込むのを防ぐため多数の樹木を育てている。「ふだらくの庭」で少林寺遥拝を行っているためか少林寺遥拝を感じるものはここにない。「蓬莱池泉庭」を通り佐和山から下りて来た爽やかな風が書院内を抜け「書院西庭」に排出される。梢の間から落ちた光が豪華な空間を作っている。まるで、庭先は暗い森の中へと続いているように見える。書院に隣接して伊井直弼公が使った茶室がある。樹木が多く、先が見通せない庭なので、幕末の茶席にふさわしい庭だと感じた。葉が少なくなる冬、庭の見通しが良くなる。庭の本質が見える冬が一番綺麗なことだろう。築庭当初に日本に無かった孟宗竹(モウソウチク)を排除し、木々の枝を掃えば夏も本来の庭の姿が一目で判るはずだ。茶室西側の小さな池とその背後の石組みから、小さな池は琵琶湖を表現し、池の中の苔むした石は竹生島を表現していると見た。竹生島を遥拝する庭なのだろう。書院内の遥拝ポイントと竹生島とを線で結ぶと池の中の苔むした石と三尊石中央とを通過すると思う。まとめると「ふだらくの庭」は宗教庭園と少林寺遥拝庭園の二つの顔を持つ。「蓬莱池泉庭(鶴亀蓬莱庭園)」は大名庭園特有の優雅さと気配りがある。「書院西庭」は竹生島遥拝庭園。3庭園ともレベルが高い。「蓬莱池泉庭」と「書院西庭」は小堀遠州のテクニックが多用されている。


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