御堂筋の裸婦像(4)

「渚」腕を組み、脚を組み海辺の椅子に座る裸少女を画いている。胸が大きくえぐられているので先のブログ「緑の賛歌」で書いた生贄儀式のような、見てはいけないものを見てしまい、或いは経験してしまい、精神的に大きな衝撃を受けたのだろう。腕を組んでいるのでどのような対応をすれば良いのか判らない心情がうかがえ、脚を組み、心を落ち着かせようとしている。繰り返し、繰り返し砂浜に押し寄せる波、波の上を行く潮風が爽やかに通り抜け心を癒す。ギラギラと輝く太陽が体を焼く。何かを喋ろうとしているが、あまりにあきれたものを見てしまったのか、経験してしまったので、口は開けたが、言葉にならない驚きの表情をしている。とりあえずは何の行動にも出ず、ただ太陽光を浴び続け、座り続け、日は沈み、日は昇る世界の中に身を任せ、心の自浄作用を使い、自らが見た驚きの光景や経験を明らかにし、離別させるべきものは離別させ、新しい生活に入るため、新たな生き方を行うために心の整理をしている。少女なので、人生最初の試練に突き当たった姿を画いたのだろう。人生経験が少ないので、驚き事の問題点がつかめず、新たな生き方への策が見当たらず、何を決心すれば良いのかも判らないでいる。ただ太陽光で体を焼き続けている。「イヴ」よほど大きな精神的衝撃を受けたのだろう、身をよじり、自らの腕で自らを抱いている。落胆、悲しさ、ひもじさ、苦悶の世界に落ち込んだ自らを癒すため、身をよじっているが、目は冷徹に地面を見つめ、歩き出そうとしている。ハラスメント、セクシャルハラスメントを受けた場合、この裸少女像のように自らを癒しながらも冷徹に地面を見つめる如く、いじめ問題を明らかにし、積極的に解決へと向かい進むことが正解だと説いている。堂々とした肉付き良い体なので、少女時代に受けた心の傷を、長期間、心の中に閉じ込めていたが、成熟し問題を明らかにできる実力、協力者を得たので、解決に向かい進むことを決断したのだろう。