大仙公園内日本庭園

天は上に上にと昇り、水は山上から海に向かい下り続ける。しかし、この庭に借景山はない。よって瀧水は川から流れて来たものではない。しかし瀧口が天地の境付近にあり、瀧壺に向かい勢いよく水を流し大きな池に注いでいる。まるで天地を切り裂いたところが水源だ。足立美術館庭園の亀鶴の滝と同じく天水の理に合わない斬新なデザインだ。休憩所から池対岸の瀧を見て、右側に中国の公園風景を切り取って来た甘泉殿があり、左側に日本庭園がある。不思議な瀧のマジックが日中の庭を融和させている。近代日本庭園の代表作家、中根金作(1917年~1995年)の代表作品は、やわらかい庭の城南宮楽水苑(1954年~1960年作)、陰の庭(黒砂)と陽の庭(白砂)を対比させて見せる退蔵院余香苑(1963年~1966年作)、爽やかな風を感じさせる二条城清流園(1965年作)、ガラス越しに白砂庭を絵画として見せる足立美術館庭園(1969年~1972年作)、大濠公園日本庭園(1984年開園)があるが、いずれも砂庭がある。ここ大仙公園内日本庭園(1985年~1988年作)には砂庭が無い。代わりに(中国風)流杯亭前に広い芝生面の桃源台がある。この庭は昭和末期に完成しているので昭和時代が求めた庭園美の集大成だ。ゆがんだ愛国主義による侵略時代、不自然に熱狂した戦争時代、不必要な空襲による京都・奈良以外の文化財の焼失、戦後復興の速さ、世界中の資産を買ったバブル経済、異様な事件の連続だったが美しい笑顔が絶えなかった昭和時代を表現しているように見える。作庭技巧は冴えている。枯山水を採用せず、源流から小川に豪快に水を流し、菖蒲園の木の板の通路下を通し、急流、水をたたえる淵(ふち)、浅瀬を抜け、低い木橋を潜り、最後に印月橋と映波橋を抜け、海になぞらえた池に注がれる。池を海に見せる為に池水を濃い緑色に見せ、護岸石を黒色系列とすることで、明るい広い青空の下、深い海に見せている。上述したように自然界では見ることのない瀧がある。年中、花が楽しめ、庭のあちこちにベンチがありゆっくりと庭鑑賞ができる。散策や子供が遊ぶにふさわしい公園庭園だ。ただ公園内から平和塔、電線鉄柱が見えるので空には恵まれていない。この庭の特徴は西洋の幾何学模様庭園同様に天地を切り離し、日本庭園風に見せたこと。一見すれば幾何学模様庭園と違う形だが、風景全体を流線形の中に収め整ったものとし、幾何学模様庭園と同じく、風が地の上を、風が沢の上を吹く姿を見せる庭としている。池と川の石々は上流に向かっている。石の方向を整えることで、個々の石の個性を無きものにし、全体で流線形の美しさを作りだしている。個々の石は昭和の英雄達だ。主人公が誰だかわからない。芝面の桃源台の奥で架空動物の口が水を吐き出している。吐き出された水は直線水路を通り(中国風)流杯亭の石床に彫り込まれた曲水溝に注がれている。この風景が昭和の異様な時代と重なって見える。四角い芝生面の桃源台は何かの儀式を行う場所に見えてしまう。言い方を変えれば桃源台は怪獣のような架空動物が源水を吐き出す儀式を見続けている場所だ。芝面を睨みつけるような架空動物、その口が吐き出す水、流杯亭に導く直線水路は強烈なインパクトがある。直線水路に沿って線をグーグル地図上で延長すると源氏の聖地、源頼朝の菩提を弔う(高野山)金剛三昧院に至る。その近辺には徳川家霊台、金剛峯寺があるので、桃源台は源氏を中心とした封建時代との決別儀式を行っていると見えてしまう。金剛峯寺奥院には中根金作のライバル重森三玲(1896年~1975年)の弟子が作ったと思われる二匹の龍を画いた蟠龍庭がある。架空動物が吐き出した水が通る甘泉殿内の水路は龍の形をしているので、まるで蟠龍庭の双龍はここから飛んで行ったものだと示しているように見える。源泉近くに三尊石を置かないことで封建時代の日本庭園と一線を画している。下流の池周辺も一見すると大名庭園風だが、蓬莱山に見立てた富士山の形をした築山は緑色の芝面でもコケ面でもなくオカメザサで覆っている。6月に訪問した時は新緑で庭が包まれているのに築山だけが黄金色に輝いていた。亀島風の中之島は池を海に見せるために黒灰色系の石を多く使っているが、黄色系列の石も若干使い黄色系の石を目立たせている。黒灰色系の石は戦後も戦争を引きずり続けた昭和の雰囲気を出している。そこに黄色系の石を散りばめ庭の美しさを引き出している。川の急流傍らに黒色の玉形石を並べ洲浜としコンクリートで固めたところがあった。池水面、河口の流れは穏やかだが、池や河口の石々は急流や荒れた海の中で水と格闘する形となっている。しかし築山には石が置かれていない。自然界で池の周囲と瀧だけに石があり、付近の山に石が存在しないことなどありえない。築山上に凝った石組が無い借景構成の庭なのに借景山がない。そのためか日本昔話の映像風景に見えてしまう。或いは欧州の幾何学構成技法を日本庭園に取り込んだことによるものだろうか。池の中に上面が平面の石を円形に置いた神の歓談石組があるので、神の通り道があると思いグーグル地図で調べると、公園南の上石津ミサンザイ古墳と仁和寺の宇多天皇大内山陵を結んだ線が休憩所と池を通過した。(沖ノ島)宗像大社沖津宮と応神天皇陵遥拝所を結んだ線が池を通過した。沖ノ島は御神体島、応神天皇陵は広いので強い両神の往来道の中に当庭園は入っている。庭の三方が古墳群に囲まれているので神が遊ぶ池となるのは当然だが、神の歓談石組を設けた点は江戸庭園と同じだ。近代庭園であっても日本国土で大型庭園を作るには日本の神々を意識せざるを得ないということなのだろう。