芦屋市谷崎潤一郎記念館

切れの良い日本刀のようなシャープな作りだがデザインは伝統的だ。借景の(海岸址)松並木と同調する池周りの6本の背の低いクロマツが池水を引き立て、サツキ、ツツジ、ヤツデ、アオキなど常緑樹、カエデ、サクラ、ユキヤナギなど落葉樹、これら見慣れた庭木が安心感を付与している。神を呼ぶ石組がなく、綺麗な浄化水を沢水とし沢池を循環させ続けているので伝統庭園ではなく近代庭園だ。塩ビパイプからコンクリートで固めた渓流に大量の清水(浄化水)を流し込み、コンクリートで固めた池に注ぎ、石橋を潜らせている。渓流や池に育つ藻が鮮やかな緑を輝かせ、池に多くの錦鯉が泳いでいる。そして浄化水は再び渓流に戻る。渓流付近には色々な樹木が育っている。アカガシのような樹木、モチノキ、レッドロビンのように新芽が赤い葉の樹木、シャラボク、ヒサカキのような樹木、トベラ、キンモクセイ、シラカシなど。クスノキを小さく育てていたのには驚いた。ユキヤナギが満開、サクラが咲こうとしていたので、年中、花が絶えないのだろう。池には艶やかな錦鯉がたくさん泳いでいる。沢渡りを歩けばすぐ傍に錦鯉が楽しめる。いろいろな人が庭を見て、楽しい、季節を感じる、綺麗だ、心が晴れた、花見ができたと思えるようになっている。池に突き出す石の上に足のない雪見型灯籠を危なげに置いている。この庭において石が主役になっていない。主と呼ぶに一番ふさわしいのはやはり庭一番の見せ場である循環水を流す渓流と池である。コンクリートで固めた渓流と池を流れる水は樹木のための地下水となっておらず、樹木が育つ地下水と沢池の循環水が完全に切り離されている。いわば庭木が住む世界とは別に沢や池がありそこに循環水が流れている。庭木を多くの大衆、世間に住む人々と見立てた場合、コンクリートの沢池とそこに流れる循環水は谷崎潤一郎の作品中の色情世界で、大衆が住む世間とは別世界であり、多くの大衆が見つめる中で進行している官能的な色情世界ということになる。色情の世界とはこの庭水のように藻が育つヌルリとした水路をエンドレスに回り続ける所だと見せている。官能美があり、魅力的で、人を引き入れる力があるが、その世界に身を投じると溺れてしまう。色情を追いかけるエンドレスな世界に真実や生産性は無い。人を溺れさせる終わりのない色情界は一般社会から隔離された寂しいところということなのだろう。ところがエンドレスに水を流し続ける沢池(色情世)だけでは美しくならない、多くの庭木が見守る(世間の)中にあってこそ沢池の美しさが際立つ。色情界と世間との関係はこの庭のようなものだろう。