白鷹禄水苑(西宮)

庭に佛像石と佛石が置かれている。伝統的日本庭園で赤い前垂れを結びつけた佛像石を見たことがないので、東南アジアの庭を連想した。しかし庭には比較的大きな春日型石灯籠2基、地下水脈を感じさせる井戸が2つ、形の整った手洗い石鉢、大きな礎石や大きな平らな石を地面に置き飛び石としているので、日本庭園をベースとした新しい試みの庭だと思った。訪れたのが3月中旬の花の少ない季節だったが、ウメが淡いピンクの花を、ボケが赤い花を、アセビ、ユキヤナギ、ヒサカキが白い花を咲かせていた。長い冬を耐えた樹木が花を咲かせ、佛像石に捧げている。代々にわたり多くの方々が修行僧の如く酒造りに励んで来た造り酒屋の屋敷跡に作られた庭なので、佛像石に花が似合う。気配り、目配りが行き届いた整然とした庭に飛び石以外の自然石が少ないので軽快でもある。建屋に囲まれた庭に佛像石と佛石を置き、多くのアセビを育て、大きな石を飛び石に使うことで佛が山中で修行していることを表現している。もう一つは二つの井戸を見せることで、地下水脈を連想させ、巨大なエネルギーが地下で動いていること、エネルギーを発する多くの花を見せることで震動表現もされている。よってこの庭は山と雷の表現からなる庭だと読み、易経「27山雷頣」或いは「62雷山小過」の意がこの庭の心だと推測した。「27山雷頣(さんらいい)食し養う」は上あごと下あごを動かし食物を噛み砕き、食するように、造り酒屋で働く人々が噛み砕くように仕事に取組み、才能を養って来たこと。正しいことを正しく噛み砕いて教え、人材育成を行って来たことを意味している。「62雷山小過(らいさんしょうか)少しく過ぎている」は、信念有る者はささいな日常のことについて少し過ぎるくらいの言動をした方が良い。例えば日常の仕事において自らが行動を起こす前に、これから何をするのか周囲に聞こえるよう、大きな声で話し、その上で動いた方が良いことを意味している。職人魂を見せた庭だと読んだ。