竹林寺(高知市)

書院北庭を見ながら庭説明を聞いていると「室町時代、夢想国師が作り上げた庭の足腰が時を経るに従い傷み出したので、江戸時代初期に嵯峨流庭古法秘伝の書を基に改められた」と説明された。奥書院は西南西約232km先の高千穂神社を遥拝しているので、奥書院内から建屋方向に西南西に書院北庭を見た場合、高千穂神社を拝むことに通じている。伝統的な形の庭なので高千穂神社が祖母山の山裾にあるように感じさせるように画いたのだろう。書院北の廊下から奥書院を見ると、北の山裾が奥書院に隠れ消える方向に伸びている。庭の様子は違うがこの構成は(和歌山)根来寺庭園、(湖西)本興寺庭園と同じだ。書院側に大きな石を置き、庭中央に更に大きな石を置き、山裾に書院側と同じ程の大きな石を置くことで山を大きく見せ、対比的に奥書院側の池を取り囲む石々を小さくすることで、池が非常に遠い所にあり、広い庭であるように見せ、更に奥書院の陰に消える山裾と青空を見せることで心を池方向に吸い込ませるようにしている。初めて見るのになぜか懐かしい庭だと感じる。書院側の大きな石、中央の巨石、奥書院付近の池、そして山裾が消える方向に視線が誘導される庭なのでそのように感じるのかとも思ったが、グーグル地図で書院側の大きな石と中央の巨石を線で結び伸ばして見ると大物主命を主祭神とする(香川)金刀比羅宮(ことひらぐう)本宮に到達した。大きな石と巨石で金刀比羅宮の遥拝方向を示している。巨石は神に権現してもらうことを想定して置いたのだろう。築山には近年植えたと思えるサクラがあるが、サツキの丸刈りが多く、マツ、カエデが散りばめられ、スギが庭を包み込んでいる。神が権現するにふさわしい演出がされている。大きな石を多く使った書院北庭とは対照的に書院西庭の庭石は比較的小さな石を使っている。石の大きさを極端に変えることで鑑賞者の心を両庭園に惹きつけるようにしている。書院西の池庭は小堀遠州作(浜松)龍潭寺本堂裏庭を小さくしたようなところがある。龍潭寺本堂裏庭と同じく書院のずっと先にある山岳風景を画いたものだと思い、書院の遥拝先をグーグル地図で調べて見た。庭がある書院の南南西にはピッタリとした遥拝先がないが、書院は263km先の熊本県最高峰の国見岳(1739m)に向いていた。庭の反対側、書院は東北東約614km先の(東京)土佐藩上屋敷跡(丸の内)に向いていた。見方によると土佐藩中屋敷跡(中央区役所)に向いているようにも見える。書院から庭鑑賞することは土佐藩江戸屋敷を背にして鑑賞することになる。視線の先、国見岳の右側には宮崎県最高峰で神武天皇が祈念した伝説がある祖母山(1756m)、祖母山山系の傾山(1605m)がある。左側には球磨・米良地方における信仰山の市房山(1720.8m)、更に左側手前には山岳信仰の尾鈴山(1405.2m)がある。庭は日向灘の船上或いは上空から見た九州中央部の山々を写したものだと解釈し、庭石、池、枯川をあてはめて見た。正面の庭中心石は国見岳、池は日向灘、築山右側の枯山水の川は五ヶ瀬川、左奥の四角い池は太平洋。枯山水川(五ヶ瀬川)右の築山上の石は祖母山と傾山、五ヶ瀬川上流の石は高千穂神社、庭中心石(国見山)左の石は市房山。亀島石組の亀頭を画く石橋は青島(あおしま)と青島海岸を結ぶ弥生橋、石橋手前の井戸石組跡(鶴島)は青島、築山左奥の石は霧島山と読んだ。書院内から庭を見ると池の手前側は見えないので、日向灘の上空から見た九州の山々だろう。高千穂神社がある高千穂町、国見岳、霧島山高千穂峰は共に天孫降臨説話伝説がある。天孫降臨伝説つまりは大和政権が九州統治を始めた地を画いたのだろう。四角い太平洋を模した左奥の池に一つだけ頭を出す島は象徴的に画いたオノコロ島ではないだろうか。沼島で見た上立神岩に似ている。書院のすぐ西、庭の外側には庭に隣接して日吉神社、そして本堂(文殊堂)がある。ちなみに本堂は(大山)大神山神社奥宮を遥拝しているので、文殊菩薩を拝むことは大国主命を祀る大神山神社に礼拝することに通じている。日吉神社、及び本堂(文殊堂)と熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、伊勢神宮、久能山東照宮、鶴岡八幡宮を結んだ線は庭を通過する。東に住む神々が当寺日吉神社、本堂を訪れる際には庭上空を通過する。日吉神社、本堂のすぐ傍にある庭なので、神が庭池で遊ぶ姿を楽しむ庭ではなく、本寺、もしくは庭石に権現した神と対話するための庭である。書院内から庭を鑑賞すると山裾の地面と沢池のみが見える。易象「19地沢臨」地の水が流れ沢に入り沢の水は地を潤す。春たけなわ。持ちつ持たれつ大いに生育。前進、若さ、活動性がある。この卦には臨(りん)身分の高い人が来る意があるので、神がやって来て対話してくれる、神と打ち解けることができる意味に取れる。一見すると自然体の庭だが、天孫降臨の地を表現した書院西庭の石々はそこに神がいることを感じさせる。書院北庭の巨石は神が権現しているように感じさせていた。世俗に住む我々はエンドレスな甘美な欲の世界に生きている。ぬるま湯のような世界にどっぷりと浸かっていると往々に下品になり下がってしまう。書院内から神が権現した庭を望み、神々と対話し、一体感を得ることで、知恵を得、ものごとの本質を思索することができ、世俗で汚れた心を清めることができる。ここは日本古来の神々と一体になれるトップクラスの書院と庭だ。明治維新以降、このような書院と庭が作られなくなったことが日本人の神佛離れにつながっているのではないだろうか。明治以降に作られた護国神社、靖国神社と、明治以前からある日本古来の神々を祀る神社が同じ神社の名称を持っていることも信仰をややこしくし、信仰離れになっていると思う。日本庭園が本来の日本美を取り戻すには信仰の整理が必要なのだろう。