謙虚な祈りに包まれた庭
この庭には竜宮をイメージした石灯籠が置かれていない。よって石組みは海山、海丘ではない。中心石や多くの石にコケが付着し、枯山水で沢が画かれているので、モデルは雨の多い山だ。海浪のような背後の大刈込、借景の亀甲城山も海浪に見える。石組み手前にもサツキの大刈込が海浪のように配され、石組みの傍らにソテツが植えられている。海辺に多く自生するツワブキをサツキが画く海浪近くに配しているので、石組みは雨の多い海上の山だ。知覧は屋久島を管理していた。屋久島には連日のように雨が降るので中心石は屋久島宮之浦岳(1936m)と推定した。正月なのに庭の端には温暖地でよく育つボケ(木瓜)が花を咲かせ始めていた。屋久島に近い地に来たことを実感させられる。この庭の中心石そのものを瀧に見立てる解説が多いので、石組みは易経の沢を表現したものだと読んだ。下卦を沢とし天、沢、火、雷、風、水、山、地を上卦として象意を読んでみた。
沢の上に高い青空を見た時は「10天澤履」謙虚な態度、礼を失しない態度で難局を乗り切れと教えてくれる。沢背後の大刈込を海洋と見なした場合は悦びの極み「58兌為澤」皆で悦び合いながらも言葉が滑らないよう節操を守るべきこと。朋友が共に勉学にいそしみ、相互に益し合うように自己制御の中にお互いが最高の悦びを得ることができると教えてくれる。日の出、月の出で沢と月日が同時に見えるときは、或いは秋になり中心石近くのドウダンツツジが火のように紅葉すれば「38火沢睽」火が炎上し、水が下向するように、背反しているが故にお互いが引き合い、お互いが必要になることがあることを見せる。沢の上に雷が轟いた時は「54雷沢帰妹」若い女が年上の男に嫁ぐことは自然の流れであるが、礼儀正しい堅実な結びつきであってこそ永久継続でき、弊害欠陥が生じないことを知るべきだと注意してくれる。風が吹き、空の雲が早く流れている時は「61風沢中孚」人は節度、節操がある人を信じるものだと戒めてくれる。沢の上に大水があると見た場合は「60水沢節」節度があってこそ豊かに水を貯えることができ、水を貯えるように蓄財ができると戒める。沢の上に山があると見えた時は「41山沢損」沢が損して山が得し、大地が損して植物が得し、植物が損して動物が得するように損ずる道は自然の道理。怒気と欲望を起こさないよう自然の道理を思い修養を怠るなと教える。春雨が降り山や庭が潤おうと「19地沢臨」地の水が流れ沢に入り沢の水は地を潤す。春たけなわ、もちつ、もたれず大いに生育する。前進、若さ、活動の季節が来たことを告げてくれる。総じて水を流す沢が下にある易経の各象の意は節度ある態度、行動こそが人に悦びをもたらせてくれ、自己制御こそが自らに悦びをもたらせてくれることをこの庭に語らせている。邸宅は平山克己・西郷恵一郎邸宅と同じく23㎞南南東の開聞岳山頂を遥拝する方向に建てられている。邸宅から開聞岳を遥拝する方向に庭を見て、その庭の中、樹木で隠したところに小さな石の社ある。航空写真では正確に判断できないが社は領主邸が有った家庭裁判所の建屋の東北の端と亀甲城山山頂とを結んだ線上、領主宅を背にして亀甲山城に向かって祈りを捧げる向きに鎮座させたように見える。知覧七庭園の中で唯一大きなマツが有る。この垂直なマツには神の降臨を待つ意味を込めたように見える。当庭園は儒教的であり、且つ祈りに包まれている。ナンテンが高く育っていることが心に残った。