水尾神社 樟葉宮跡 盤余池推定地 今城塚古墳
ウイキペディアでは「継体天皇(男大迹王)は応神天皇5世の来孫であり、『日本書紀』の記事では越前国、『古事記』の記事では近江国を治めていた。本来は皇位を継ぐ立場ではなかったが、四従兄弟にあたる第25代武烈天皇が後嗣を残さずして崩御したため、大伴金村や物部麁鹿火などの推戴を受けて即位したとしていると紹介している。」「『日本書紀』によれば・・・群臣は越前国三国(現福井県坂井市三国町あたり)(『古事記』では近江から迎えたとある)にいた応神天皇の5世孫の男大迹王を迎えようとした」と説明している。
福井県三国には歴史ある三国港があり、朝鮮任那で産出された鉄原料が三国港で陸揚げされ、近くの細呂木製鉄遺跡など現在のあわら市で、たたら製鉄を行い、当地を支配していた皇族支流の王族が財を築いていたことが容易に想像できる。任那の砂鉄や鉄鉱石を輸入できるのは皇族支流の王族でなければできなかったはずで、母、振媛が垂仁天皇の7世子孫と伝わるので、皇族支流の母方の実力の程が想像できる。尚、母が嫁ぎ、男大迹王を生んだ現在の高島市において、ウイキペディアで「東谷遺跡に近援する甲塚古墳群11号墳では、鉄滓が採取され、それに伴って採集された須恵器の年代観から、5世紀末段階の鉄生産の可能性が指摘されている。この鉄滓は当初は製錬滓と判定されていたが、のちに鍛冶滓であるとの変更がなされている。しかし、鉄滓が表採遺物である点や、製錬滓と鍛冶滓の同定の判断基準が明確でない点から、検討の余地があるとされる。」と説明されているので、当地を治めていた男大迹王は少なくとも母方実家の王族から精錬された鉄を譲り受け、鍛冶業で鉄製品を製造し、武器を作り、軍事力を備えていたことが想像できる。これらから男大迹王は天皇即位ができる実力と軍事力を擁していたと推測した。
ウイキペディアで「継体天皇の父の汗斯王がいた「弥乎国高島宮」は、近江国高島郡三尾郷に所在していたのが察せられる。 同郷は、式内社とされる水尾神社が鎮座する高島市拝戸付近に比定される。」と説明しているので、男大迹王の拠点は水尾神社の地だったのだろう。
男大迹王は政治の中心地、飛鳥に入ることなく、507年、近江と淀川でつながる大阪府枚方市樟葉の樟葉宮で即位し第26代、継体天皇となった。樟葉は寝屋川-深野池-旧大和川のルートを使えば飛鳥と水上往来ができ、淀川から四国、九州、朝鮮半島との往来ができ、近くに防衛拠点となる聖山、男山が控えている。次いで511年に京都府京田辺市の筒城宮に遷都し、518年に京都府長岡京市の弟国宮に遷都し、526年に飛鳥に近い奈良県桜井市の磐余玉穂宮に遷都した。翌年、九州で磐井の乱が起き528年に平定し、531年に亡くなった。
当時の日本には西暦の1年間を2年間と呼ぶ慣習があったようで、継体天皇の享年は81歳と41歳の二通りがある。即位後、19年にわたり政治の中心である飛鳥から離れた地で遷都を繰り返し執政したことから、飛鳥で執政しない方が良い理由があり、飛鳥の政治体勢を維持すべき事情があったと思う。この現状維持を続ける政治策は前回の妙心寺大法院の庭園記事で書き出した易経「42风雷益」益卦の次に位置し、益が満杯となり溢れ出る決壊寸前の象「43泽天夬」夬卦が当てはまる。
悪人と善人、小人物と大人物が混在しているのが世の中、夬卦は悪の小人物が最上位で君臨し、その下に5人の善人、大人物などの君子が控える形になっている。下位、5階層の君子がお互いに力を合せば何時でも最上位の小人物を排除できるのに、あえて排除の決断をせず皆が利益を享受し続けている。例えれば昨年までの芸能界のように、芸人の最上位に悪い芸人が君臨し、セクシャルハラスメント、パワーハラスメントを繰り返すも、その下にいる五つの階層の各君子は見て見ぬふりを続け、現状維持を優先し、長期にわたり共に利益享受していた。昨年、そのような慣習はやめるべきだとの風潮が一般大衆に起こり、テレビ局はその風に耐えきれなくなり、ダムが決壊するように最上位の小人物を引き摺り落し、組織改革を始めた。下位の君子の中には最上位の小人物と結びき、悪行へ加担をした者もいたが、本人が悪行を行ってなければ、易経の教えどおり、弁明だけで許された。
現状維持に努めることを勧める夬卦から継体天皇の時代を推測してみた。武烈天皇の崩御後、皇族組織の最上位が空白となり政権の最終決定権はそれまで低い地位だった皇族の女性たちが握り、最上位に居座り、その下に、皇族系の王族、大伴氏、物部氏、和珥氏など実力ある豪族、つまり君子が控えていたと思える。皇族女性たちは政治未経験者であっても、皇族を守るために活動するので、下位にいる5階層の君子達は、皇族女性達の活動の必要性を認め現状維持を支持した。皇族女性達は簡単に引きずり落とせるが、落とせば奸臣など、政権を狙っている者たちが団結し、政治の中に入り悪事を働き始めるので、5階層の君子達は自己保身のため、現状体制を維持し続け、自らの活躍の場を確保し、利権確保し、利益を享受していたが、いつまでも次期天皇が決まらなければ、皇族組織そのものが崩壊してしまうので、皇族系王族のなかで、最も力がある男大迹王を推挙し継体天皇として即位させたのだと思う。
継体天皇もその事情をくみ取り、自らが最上位に立たず、皇族の女性達を最上位に居座り続けさせ、現状維持のため、なかなか飛鳥に入らず樟葉宮→筒城宮→弟国宮と遷都を繰り返し、最後に磐余玉穂宮に遷都し飛鳥に近づいたと読んだ。往々にして女性がトップの組織は、どれだけ理論的に整った政策を進めていても、トップ女性の感情的な一言で、政策が覆されることが多い。女性は変化と汚れたものを嫌うので、トップ女性と交流するには自らの身を潔白にし、謙虚に接し、話を聞くように臨まなければならず、大きな決断を迫れない。女性陣の中に割り込んで問題処理をすれば対立する側も外部勢力を持ち込むので、内紛になりやすい。よって、女性陣の内輪もめは自然に任せていた方が良い。
この卦には「邪不胜正」善は悪には勝てないということわざがあるので、継体天皇は女性陣の影響力が低くなり、それぞれが引退するまで、飛鳥に近づかなかったのだろう。そして皇族女性陣の引退後、磐余玉穂宮に入り最上位に座り執政を開始したのだと思う。19年にわたり中央から離れていたところで執政を行っていたので、前後左右を見て、時間をかけ、公にとって良いことを行っていたはずで、磐余玉穂宮に遷都した時点で、完璧な継体天皇体勢が整っていたと思う。歴史学界、考古学会では今城塚古墳の被葬者は継体天皇だと定説になっており、第21代、雄略天皇より大きな古墳時代最後の大型古墳を作れた天皇なので、強い専制君主だったことは明らかだ。磐余玉穂宮での執政期間は、6匹の龍からなる易経「1乾为天」乾卦のような理想的な政権運営を行っていたはずで、継体天皇は雄略天皇が理想とした専制君主制を完成させ、雄略天皇の政治体制の最盛期を迎えさせた。しかしながら継体天皇の崩御後は「43泽天夬」夬卦の次「44天风姤」姤卦の政治体制となり、蘇我氏が皇族の女性たちを利用し、実質上の執政者となり、天皇家の衰退が始まった。
「43择天夬」夬卦の綜卦は、夬卦と同じく現状維持を勧める「23山地剥」剥卦だが、剥卦の次には「24地雷复」一陽来復の未来が控えているのに対し、姤卦は一歩間違った男女の仲のような底知れぬ衰退へと誘われる暗示ある。
史実は易経通り、第27代、継体天皇の長子、安閑天皇は即位後、僅か四年で崩御。子女なし。第28代、宣化天皇は安閑天皇の同母の弟で、僅か三年で崩御。第29代、欽明天皇の二名の妃は蘇我稲目の娘で、実権は蘇我稲目が握った。専制君主にふさわしい血流を持つ欽明天皇であったが、蘇我氏、物部氏の力なくして政権運営が成り立たなくなった。
第30代、敏達天皇の時代にはもはや専制君主復活ができない環境になっていた。敏達天皇の皇后、額田部は父が欽明天皇で母が蘇我稲目の娘、そして敏達天皇の異母妹にあたる。第31代、用明天皇は額田部の同母兄、第32代、崇峻天皇は額田部の異母弟にあたる。崇峻天皇は専制君主復活を目指し政治を乱したがために皇族・群臣の同意を得た蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺した。雄略天皇から数えて6番目の継体天皇が雄略天皇の理想を完成させるも、7番目からは天皇家の衰退が始まり、天皇が専制君主制を取り戻す活動を行うも、奪還できず、12番目の崇峻天皇で雄略天皇の政治体制が終了した。
そして、額田部が第33代、推古天皇に即位した。第34代、舒明天皇は敏達天皇の皇子。第35代、皇極天皇は舒明天皇の皇后で、在任中に息子の中大兄皇子が蘇我入鹿殺害クーデター乙巳の変を起こし蘇我氏を排除、大化の改新を行い、専制君主制を取り戻すも、専制君主時代は中大兄皇子こと天智天皇とその弟の天武天皇の2代だけで、それ以降は藤原氏が女性天皇を支え、或いは幼い天皇に代わって政治を行う時代に入った。
現代日本は継体天皇の前後の時代と似ている。空白の30年と呼ばれる時代は最上位に国民の意見を無視し日本を弱体化させる政権と、自己保身と自己利益を優先する官僚が居座るも、下位にいる経団連ら経済団体、基幹労連、教育界、マスコミ、全農、NPO団体など5階層の君子は何も上層位を変えようとせず、ただ現状維持を優先し、保身に走り、君子達も利益を享受して来た。
アメリカ大統領がアメリカを普通の国に戻すように舵を切ったことで、現状維持が難しくなり、これ以上貯水できなくなったダムが決壊を始めたように、天上の雨雲がこれ以上の水滴を保持できなくなり豪雨を降らすことを決したように、最上位の政治家、官僚の不正が公にされ始め、最上位の悪人の引きずり落しが始まった。
悪人の引きずり落しが終われば上が溜めていた利益が大型公共投資の形で国民に向け放出され、経済が活性化することだろう。
これからの日本を易経から推測すると、現在進行中のアメリカの改革と共に、まもなく現政権とそれを支配する不良官僚達が一掃され、正しい心を持った能力と実力ある政治家と官僚が本来、居るべき位置に付き、彼らの活躍が開始し、良き時代を迎えることだろう。
しかし、良き時代は長く続かず、アメリカの衰退と同歩するように日本も衰退し始めることだろう。衰退の時代は巡り合った男女のように、良縁とするのも悪縁とするのも、本人の長期的視線に立った判断力、分析力、行動力、そして決断力次第といったような、
衰退の流れを食い止め、変えられるのも、日本人の道徳力を含めた総合力次第、自らの判断次第、つまりは自分次第といった時代となることだろう。