志賀直哉が設計し、1929年(昭和4年)から10年間過ごした庭と邸宅は江戸文化を基に欧州文化を取り込んでいた。書斎建屋2階の客間から池庭を見下ろし、借景の若草山、御蓋山(春日前山)、花山(春日奥山)を眺めていると、心地よくいつまでも居たくなる。若草山は奈良の象徴で山頂には古墳がある。春日前奥山は神体山で神域なので春日山原始林となっている。神体山からの空気が清々しく、御蓋山頂上まで約1㎞と身近に見えるので神との一体感がとてもよい。書斎周りの庭には御蓋山方向に三尊石があり、神を権現させる作りとなっているので、江戸文化を継承しているが、明治・大正・昭和の軍国主義時代の庭らしくクスノキを大木に育てていた。池の中之島は亀島でなくサイコロ型の石を組んだ近代風デザイン、神を呼び寄せるための(京田辺)大御堂観音寺の池と共通していると思った。中庭(露地)も江戸庭園風だがグロテスクに育てたモチノキが昭和の匂いを放つ。露地上に御蓋山が頭を出している。視界中に電線が無ければより神々しい露地になると思った。南庭は典型的な昭和の住居庭で、子供を遊ばせること、花を楽しむためにある。庭全体が封建制度から解き放されたような解放感にあふれている。春日大社と神体山に流れている澄んだ空気が庭に流れ込んでいるためか、この一帯の庭に共通する他では味わえない軽快さが心を酔わせる。