京都府立植物園 裸婦像(3)

「風と舞う」少女が風に乗って舞っている。体のしなやかな、未だいろいろな経験、知恵を身に付けていない少女だから恍惚感に浸って舞えるが、知識、地位、財産、家族、知恵を身に付けた成人が舞うと転倒してしまう。多くの体験、知識を身に付けた実力ある成人が成功を重ねると自信過剰となり貪欲な知識欲、財産欲、名誉欲、性欲、食欲、支配欲、権力欲が芽生える。小食は死なないが過食は死ぬと言われるように、やり過ぎないよう気を付けなければならない。成人者は自欲の満足点を考え、制御できない高望みをしないよう心がけなければならない。「向ふ」前進中で、左足が前なので、積極的な前進だと読める。たくましい体、何かを振り切ったような明るい表情なので、離婚し、捨てるべきものを捨て去り、新たな目標に向かい進んでいるように見える。人生経験豊富な成人女性の再出発なので燃え盛る勢いがある。新たな出会いを掴み取る予感がする。しかしながら、再出発は人生最大の危機であり、謙虚な女性、或いは抜きん出た実力を持つ女性でなければ良縁を掴めない冷酷な現実がある。振り切ったことで生まれた麗美の中に危うさが潜んでいる。「陽」少し前傾し、右手を腰背後に回す年老いた百姓の体形を取っているが、顔や体は若いので働き者の家庭婦人だと観た。男女が絡む「ラ・クープル」像を見て見ぬふりをしているので、人生経験豊富な、わきまえた生き方をしている婦人である。タイトルの「ひだまり」から、暖かい太陽のような夫の愛情を全身で受け止め、実力ある夫に従順に従うことを生きがいとし、平凡な生活を楽しんでいると連想した。何事も夫に相談し、夫の指示に従い、外では他人から信頼を受けることを第一に考え行動し、出過ぎることなく控えめを心がけ、才能は陰徳を積むように人目のつかないところで使い、決して自らがトップとならないように気を配る。家庭婦人の地位とはどのようなものかを画いている。日本人が製作した裸婦像は個人主義の欧米の裸婦像とは異なり社会との関係を画いているので多くの教訓を含んでいる。そして男性像とは異なり美しい。しかし街角に配すると街に陰を呼び込み社会の発展を阻害する。街行く大半の人は裸婦像を無視しているので、いずれ巷に溢れている裸婦像はここ京都植物園のように、有料公園に移され展示を続けるのだろうと思った。