西尾城、東の丸遺構を利用した庭なので、高台の東屋から街並みと山が良く見える。江戸時代、藩主が水田を眺め、農民と心の交流をしていたことが偲ばれる。封建時代は身分制度があったが、藩主と農民、同じ日本人同士の心の交流があった。書院及び茶室から高台の石組みや樹木が楽しめ、高台やその背後の高所は山中の雰囲気を漂わせた回遊路になっている。茶室の縁側から高台を見上げ、高台の東屋から茶室を見下す風景は迫力がある。高台の茶室側はたくさんの石を崖に差し込んだように石を積み上げ壁のようにしている。茶室から石積壁と対話する形だ。亀石を枯川に置き、江戸庭園樹木を多用しているので、自省の庭の雰囲気となっている。しかしながら茶室はピッタリとした遥拝先を持っていない。茶室から石積壁を見た先には玉石社、熊野本宮大社があるのに茶室を聖地にピッタリと向けなかったせいか、自省の石積壁であっても、伝統的な石積壁のような神と対話する雰囲気にない。庭に遥拝や神の通り道が必要で、目に見えない日本古来の神の力を引き出すのが日本庭園の役割であり、神の力を引き出せた庭は美しいということではないだろうか。多くの石で力強さが表現されるこの昭和初期の庭は国民が軍国政策に従うべきことを表現している。天(天皇)に逆らわない意思を表わす天に逆行する水を見せない深く掘り込んだ枯川、力と富を誇示する多くの石灯籠、アーチ型の石橋、礎石を利用した飛び石、頭が平たな石々、高台に使われた大量の石々。成金趣味の批判を避けるため巨大石灯籠や巨石は使っていないが、多くの石で力の時代を示し、個性の無い平らな石々、個性の少ない石々で天に盲従する様子を表現している。明治維新以降、政府は新社会には職業選択の自由、誰もが富と力を追求できるチャンスがあり、チャンスは平等に与えられていると国民に説明して来た。しかし、実のところ現在に至るまで日本の社会は真に自由な社会でも平等な社会でも無く、真の議論など行われたことなどない。競争により作り出された大量の敗者と弱者から搾取した労力と金力で成り立っている社会だ。戦前、政府は徴兵義務を使い上層部が大きな利益を得ることができる戦争へと突入させた。戦後、徴兵義務はなくなったが過度の重税が課され、納税額の大半は上納金として国外に流れている。行き過ぎた競争により多くの人が心を病ませている。実社会に自由、平等などないのに、自由平等社会と錯覚させる教育が行われ、その教育を受けた学卒者は社会に入ってすぐ戦力にならず、政府・企業は学卒者へ多額の教育費をつぎ込み、再教育を行っている。この庭は一見すると江戸時代の儒教的な教養にあふれた庭のようだが、実は昭和初期の世相を映した、天皇に対する絶対的な服従と忠誠を誓い、力と富を信奉することを表現した庭だ。庭鑑賞していると、当時の天皇絶対主義、兵を人間扱いしなかったこと、たくさんの国民が亡くなったこと、おかしな満州国のことを思ってしまう。今も戦争後遺症は続いている。突き詰めると日本人の良心を呼び起こし、その良心を天皇への忠誠、お国への戦争協力に導くための庭だ。一般日本人には日本人の良心を求めたが、それを求める上層部に日本人の心などなかった時代をそのまま表現している。