妙心寺大法院

妙心寺境内で一般公開されている塔頭に足を踏み入れると、いずれも山中にいるような雰囲気を感じる。妙心寺は東にも西にも数メートル以上高い台地のような一段高い地にあるので、周囲が田園だった頃、現在とは違い、東側の塔頭群には比叡山から稲荷山まで続く東山連峰を借景とした庭があり、西側の塔頭群には雙ヶ岡を借景とした庭があったことが容易に想像できる。現在、大法院庭園から約500m先の雙ヶ岡までの低地には住宅が埋まっており、目隠しのために植栽していて、奥深い山上にいるような雰囲気となっている。妙心寺桂春院には「妙心寺は修行の妨げになる詩歌・茶道などを厳禁としていたが、桂春院には建物の隅に隠れるように茶室を建て,ひそかに茶を楽しんでいた。」と説明されていた。対し、大法院には堂々とした茶室があり、露地庭となっているので、江戸末期の庭なのだろうかと思った。雙ヶ岡などを借景としていた名残だろう、南と西に大きく開口する客殿は太陽光を十分に取り入れている。その明るい室内に座って庭園の南を望むと庭のヒノキの大木の幹が電信柱のように見える。苔面には背が大きくならない満天星ツツジ、笹などの低木樹を植えている。茶室へとつながる飛び石は角の立った苔面が映える薄灰色の石を多用している。客殿西側から露地庭に下りるところに大きな明るい黄色の沓脱石があり、庭に下りる際に客を驚かせ、気持ちを切り替えさせ苔面の飛び石へと進ませ、心が露地に入り込むようにしている。客殿西側の庭の縁には雙ヶ岡を大きく見せるための石が3個並べ置かれているが、雙ヶ岡は植栽で隠れている。易経から、本来この庭が訴えていることを読み解くことにした。雙ヶ岡に突き出すような台地上の庭で、借景庭だった頃は緑豊かな雙ヶ岡の上空に出現し、向かってくる雲にて風を感じていたはずだ。客殿と茶室をつなぐ廊下にある大きな井戸は地下には雷のような巨大柄ネルギーを持つ地下水脈があり、下に大きな動きがあることを連想させるので、「42风雷益」益する道を画いたと読んだ。益卦は有田川の記事で紹介した「41山泽損」損卦の次に位置し、綜卦関係を持つ。損卦と益卦とは共通の土台上にあり、損益は一体だと教える。今回は益卦について学んで見た。益とは他人に損をかけ利を得る行為ではない。そのような利は続かず、やがて誰からも相手にされなくなる。真の損益とは自ら進んで損し、次に益すること。あらゆる物事には限度があるので、損の立場の民は捨てる物、損できる限度を測り、益の立場の国は税金を得て益する限度を測り、お互い限度を持って損益関係を維持しなければならないと説く。税払いで損する民は、国の防衛、公共事業、福祉、教育などの拡充で、安全安心の生活を手に入れ益することができる。税収で益する国は、防衛費、公共事業、福祉、教育などの支払いで損するが、民に安全安心を提供することで産業の発展を促進し税増収にて益する。この民と国との損得関係にて民は人生の品質を向上させ、国はインフラ、装備、役人の品質を向上させ、お互いにレベルアップし続けることになる。失われた30年以前は、戦災で大損を食らった民の税負担で民は損し続けるも、国民生活を考える官僚の働きで、損が益に替わり民も国も豊になった。周知の通り、官僚が自己利益を追求し始め、大蔵省から財務省へと名が変わる直前から、失われた30年が開始した。国が益することは役人が民の面倒を見て、役人が民のことを考え行動する国の自損行為から始まる。会社の益とは役員及び中間管理者が従業員の面倒を見て、従業員のことを考え行動することから始まる。民に愛国心、愛社精神が生まれると自ずと国や会社は増益へと向かう。つまり益とは、上の者が自ら損するほどに働き、国や会社が損して福利に力を入れることで、下の者を益させ、愛国心、愛社精神を育成することに他ならない。愛国心を持った民は国に忠誠を誓い、愛社精神を持った従業員は自己犠牲を省みず良く働く。過去の日本にあったこのような美しい慣習は上の者、下の者が自己犠牲的に働いても、双方に恨みが生じることはなかった。しかし現代日本において、若年層の最大の死因が自殺で、人と人との調和がとれていない社会環境が、若者が自らの進路を定められなくし、夢を持てなくしている。日本のGDPが増えていないのに、大企業、役人の給料が大きく増え、就業時間が短くなり、税収アップとなったことは、まぎれもなく中小企業の給料が減り、荷重労働が押し付けられていることに外ならない。物価高騰とあいまって格差拡大による対立問題が起きようとしている。この根源は、上にいる官僚の自己利益の追求にて、莫大な税収を海外に漏らしていること。自らの利権拡大を図っていること。これらの行為が官僚組織と社会に歪を生じさせ、上下のつながりを希薄なものにしている。会社においては評価主義が取り入れられ、これも上下のつながりを希薄にしている。上下の者が対立すると国は亡び、会社は衰退する。官僚は日米合同委員会廃止デモ、財務省解体デモを軽視し、行いを変えようとしない。益道とは合理的な調整を行いながら進むことなので、官僚は日米合同委員会廃止デモ、財務省解体デモの民の主張を汲み取り、改めるべきことを法令にし、執行すべきだと思う。国も民も良い方向に向かって進むべきものなので、益卦の上に位置する者は悪習を風で吹き飛ばし、腐敗を無くす勇気が必要だと思う。易経は上層部の者が、先ず悪いものを捨て、自損することで、益すると教える。国の最重要事は国防なので、軍隊組織をモデルにして官僚制度組織の各階層の人が取るべき行いを易経から書き出して見た。兵には実権無く、大きなことができる立場にはない。しかし軍の威を借り示威行動を行えるのだが、それは公のために使うべきものであって、私のために使うものでは無い。佐官(部長クラス)が支持してくれ、良く面倒を見てくれるので、公のために適時に自らの力を発揮すれば皆から認めてもらえる。下士官は直属上官もしくはその上の上官の信頼を得ることを第一に考え行動しなければならない。兵に対して強い立場で臨むことができるが、それは上司である尉官(課長クラス)、佐官の威を借りてのこと。常に上官に忠誠を誓う態度が必要。やるべきことを行い、正しいことを守り、上官に疑われる行為をしなければ兵が慕ってくれるので楽しく過ごせる。戦場では最前線にて兵を指揮し自らも戦う最も重要な位置にいるので軍組織の中核にいる将官(役員クラス)から目を付けられており、常に将官から信任されているか否かを意識しなければならない。もし、兵を自分の子分のようにして排他的行為を行い、物資の横流しを疑われる行為を行い、不祥事や異性問題を起こせば将官の信任を失うので行動には気を付けなければならない。尉官は直属の上司だけではなく、上から下から常に叩かれる地位ではあるが、非常時において、自らすみやかに行動をした方が良いと判断した場合には、上官に行動計画を報告した上で、私心を持たず、自らの判断で中隊もしくは小隊を動かし武器を使用し問題解決しても、処罰を受けることなく、返って評価され重用される。但し、非常事態が収束すれば速やかに隊と武器を元に戻し、平時のとおり、上官の指示を受けた上で行動する生活に戻らなければならない。何らかの事件などに巻き込まれた場合、支援してくれるのは軍の最上部にいる政治家などだが、スムースな支援を受けることは難しい。常に上官である佐官のコントロール下にあり、いかなることでも上官に報告しなければならず、忠誠心を示し信任を受け続ける必要がある。佐官は軍隊上層部の中では最下位にあるが、軍の内外で高い地位にあり、へりくだったことはしない。軍隊の上層部の人に共通することだが、巽のようなしなやかな身のこなしが求められ、威圧的な振る舞いを行うことはない。上官である将官の流儀、やり方を部下に伝え、非常時にスムースな行動がとれるようにしておく中間管理職なので、行動は合理的で、軍の規律に沿って、偏らない考えで仕事を行っている。直属上官および上の方々に欠かさず報告を行い、上層部の同意の下で行動する。謙虚な心と態度で兵の面倒を見、世話をやくことで兵の愛国心,軍を愛する心を育成し、強軍を作ると共に兵の心を掴んでおく必要がある。これは非常時にあって自己判断で連隊クラスの部隊を動かすことができるので、兵の心を掴んでおけば、兵に信じてもらい、連隊を自在に動かすことができるためである。平時に戻れば、上官、上層部に頻繁に報告することで上官、上層部の信任を受け続け、非常時において困難に落ち込んだ際に、将官及び上層部に保護してもらえる。将官と佐官とは非常に近い関係だが、その行動前には報告が必要。一般的に相談内容の選択肢は少なく、熟慮の結果はたいてい一つの案しかないので、報告し相談しても自らの提案が覆させられることはほとんどないが、報告し、信任を受けたことを確認した上で行動すれば安心して行動でき、上官の信頼が増し、上官が心を開いてくれる。もし報告せず行動すると、いくら良い結果を出しても、上官がコントロールできない人だと見なし、自分がやりたいことをしているだけだと判断され解任されてしまう。よって、時間がある平時においてはこまめに報告し、自己判断で決断を下し行動してはならず、昇進すればするほどに細かな気配りを払い、小心でなければならないと教える。軍の中心である将官は偽り無い心で言動を行う。すべての人から、その発言は信用できると思ってもらえるよう説明することになる。一方では佐官以下の全軍の部下に思いを至らせ、部下から信用され軍を統括し、軍の運営を行うが、もう一方では全軍をコントロールしているのは将官の上に位置する政治家及び議会なので、政治家及び議会に信用してもらえる仕事をすることが重要となる。上下への活動は精神面での交流活動なので、食事をし、何かプレゼントを贈るようなこともせず、極めて安いコストで活動するが、仕事はその逆で極めて高いリスクを回避する仕事が次々と訪れて来る。軍隊組織の最上層は軍人ではなく政治家及び議会となる。軍人である下士官と兵は自らの体を犠牲にして日々訓練に励み、士官は自らの時間を捨て管理業務にあたっている。戦いになれば自らの生命すら犠牲にする。自らに損を課して仕事を行っている人々が民から批判されることはない。これに対し、民間人である政治家は普段は表面的な対応に明け暮れ、自らに損をかけて軍事行動に参加することもなく、益ばかりで損することが無い立場なので、常に国民から不信な目で見られており、軍の不祥事、軍の戦敗など軍関係のすべての問題の当事者は政治家とされ、国民の容赦ない批判にさらされる。一旦、戦端が開かれると民は勝利を求めるので、熱狂的な口論が飛び交う。負け戦になると民は政府に不信任を突きつける。莫大な戦費をまかなうために民がいくら納税しても金が足りない状況に陥ってしまうと、政治家は国民に更なる犠牲を求める。このような立場に立つ政治家は戦争の収束と共にすべての責任を取らされる。益の行きつく先はこのような結末で、利益ばかりを追求し自損することを避けた人の結末はこのような悲惨なことになる。損卦と益卦はセットであり、ものごとには限度があることを見定め、限度ある損と限度ある益にて民と国がバランスを取り合って発展すべきで、益は自損することで得ることができると教えられた。