天龍寺(2)曹源池庭園

天龍寺法堂・大方丈・寿寧院・永明院・友雲庵はブッダガヤの大菩提寺に向け建てられ、大菩提寺を遥拝している。大方丈で建屋に沿い曹源池庭園を鑑賞することはブッダ(釈迦牟尼)が悟りを開いた聖地、大菩薩寺を遥拝することに通じる。よって三尊石の中心石はブッダ(仏陀)ということだが、中心石がなで肩状なのでブッダの悟りの継承者、夢想国師(夢窓疎石)にも見える。中心石は多くの弟子を模した石を従えている。三尊石付近から湧き出し流れ落ちた佛法を含んだ水が曹源池に溜まっている。よって池は佛法で満たされた世界、池を取り囲む石々はブッダ或いは夢想国師の法談に耳を傾け佛法を実践している高僧、池の中から頭を出す石々は天龍寺で修行に明け暮れる修行僧、池に向け突き出す半島の先端の石はブッダ或いは夢想国師と禅問答を行う行脚僧(雲水)だ。池対岸は嵐山の山裾に見せた築山で、築山と三尊石瀧組の石橋は苔で覆われ、緑色系列の石々が苔面に溶け込んでいる。そして池底の泥も緑で池も緑色。それに対し方丈側の平面は芝面と白砂。彼岸・池と此岸を明確に分けている。大方丈前庭(白砂庭)と同じく直線を強調し、石目を縦方向に揃え、アカマツを真っすぐに育て、ヒノキ、スギなどを見せている。白砂の模様も横直線となっており、池周りの曲線、山の曲線、樹木の丸刈りを引き立てている。嵐山と愛宕山を借景にした雄大な庭で春は新緑と花、夏は深い緑、秋は紅葉、冬は愛宕山の雪、四季をダイナミックに見せる。曹源池は心を表現している。この庭は夢想国師が悟りを開いた時、幻覚の中に見た風景ではないのだろうか。浅い池なので大波が立つことはない。風が吹き漣(さざなみ)が立ち波動が起きてもすぐに鏡面に戻る。池水(心)表面が鏡面となると空(天)が映り、山の樹木(周囲の人々)が映る。しかし池水(心)は流動的で捉えどころがなく、ただ透明な水が溜まった所、心の本質である水は池の形に従って一時的に滞留しているだけ、透明な水を通して池(心)の底が見える。綺麗な水が流れ込み続ける聖なる地で、綺麗な水(佛法)を心(池)に流し込み続け、濁った水を排出し続けてこそ心が澄み、悟りの境地に入れることを見せている。小方丈の西側にも曹源池が表現する修行の世界を石組だけで表現した部分がある。苔面の築山の裾に小さな三尊石を中心とした石の円陣があり、ブッダ(仏陀)とその法談に耳を傾ける菩薩達の円陣の中で身動きが取れなくなった修行僧を模した石々がある。円陣の石組の外側に(座禅石とも呼ばれる)神の着座石があり、その外側に半円状に水が流れ続けている。水の流れが仏法を学び続ける姿勢を表現している。これは天龍寺の組織図にも見える。寺院組織の中でそれぞれの立場の者が行うべきことを示しているかのようでもある。曹源池庭園は天龍寺で修行することの厳しさ、ありがたさを表現している。庭は山に続き、その上に天空が広がっている。行脚僧のことを雲水と呼ぶが、風に流され刻々と変化する雲は水の粒子が空中に浮かぶもの、水滴となり雨となり山に降り注ぎ、山中で一旦地下に潜った後、湧き出て川の流れとなり、知識の蓄積を象徴する池や海を経て、再び蒸発し雲となる。雲水は水のように活動する人で、そのありようを庭に見せている。