北野天満宮 梅苑

北野天満宮(御本殿・拝殿・三光門と南北の直線参道、御本殿東から楼門を潜り二の鳥居までの直線参道、その他建屋)は南81kmの賀名生皇居跡を遥拝している。御本殿と賀名生皇居跡を結ぶ神佛の通り道は(北野天満宮に隣接、かつては北野天満宮神宮寺)東向観音寺山門-乾窓院-(京田辺)天神社境内-(大和郡山)榁ノ木峠地蔵菩薩立像-松尾山神社・松尾寺境内-(斑鳩町)北浦地蔵尊-(大和高田)大願寺本堂-(御所)勝福寺本堂-葛木御歳神社(中鴨社)の鎮守の森を通る。この線の両側にも規模は小さいが多数の寺社(吉祥院天満宮・三之宮神社など)や墳墓(藤原武智麻呂墓など)があり、幅広い神佛の通り道が作られている。菅原道真が佛舎利を身につけていた伝承によるものか、北野天満宮(楼門・東門・北門で囲まれた部分にある御本殿・拝殿・三光門・地主神社・多くの末社・手水舎・講社・神楽殿などの建屋)は西4972㎞ブッダガヤの大菩薩寺を遥拝している。御本殿から東に2.45㎞、相国寺の放生池北側と南側の護岸石組も略ブッダガヤの大菩薩寺を指し示し、放生池東から西を見ることはブッダガヤの大菩薩寺を遥拝することに通じているが、その方丈池の天界橋中心とブッダガヤの大菩薩寺を結んだ神佛の通り道は北野天満宮の御本殿と拝殿の間-(天龍寺派)等持院方丈-(天龍寺派)功運院方丈-(妙心寺派)多福院を通過する。御本殿の東から楼門を潜り一の鳥居まで伸びる参道は御本殿付近から二の鳥居まで直線だが、二の鳥居から一の鳥居まで大きく曲がり、一の鳥居部分で口が広がっている。多くの神々や多くの参拝者を招き入れ、或いは北野天満宮の神々が四方八方に向かう形に見える。グーグル航空地図で参道を見ると「し」の字が浮かび上がってくる。北野天満宮の主祭神、菅原道真の死(し)は美化され、政治に利用されたことと関係あるのだろうか。近年作られた梅苑、梅を楽しむ以外、庭そのものとしては大して楽しめるところはない。浅い池があり、綺麗な水が流れ爽やかだ。梅を鑑賞するための遊歩道が網の目状に張り巡らされ、牛を模した石が置かれている。木組み見晴台からは比叡山が見え、苑内の遊歩道を走り回る幼い子供たちに目が行く。神の世界にいる小学校に上がるまでの幼い子供たちが走り回る姿を見ていると、神が降臨しているようで美しい。神社仏閣の放生池、古墳周囲の濠が日本庭園の始まりだと思うが、北野天満宮は楼門の西南、参道に隣接させたところに多くの梅を育て、梅の池を作ったと思った。平面の庭は穏やかで、梅花で春を感じ、温もりあるが、画一的な遊歩道からなる借景の少ない庭のせいか、或いは国旗(日の丸)がはためいているせいか、特攻隊に象徴されるお国のために死ぬことを美化した明治・昭和の軍国主義の空気が苑内に流れていると感じてしまった。