摩尼院(まにいん)天野山金剛寺境内にある塔頭の一院
普段は公開していないが、ゴールデンウイーク中に公開していたので参観した。本坊庭園のような明るい庭を想像していたが書院南側の小さな「表庭園」、書院北側の小さな「裏庭園」、共になぜここまで陰に籠った庭かと思うほど陰に籠っていた。暗いと感じるほどに陰に籠っていた。一見すると地勢と建屋に合わせた普通の庭である。
当院の名「摩尼」はサンスクリット語でマニ「珠」を指す言葉なので、庭推理の鍵は「摩尼」にありそうだ。
「表庭園」の瓢箪型の池対岸には山裾が迫り、且つアセビがたくさん植えられている。山裾に植えられた庭木の陰に小さな祠が一つ置かれている。浅い池にはスイレンの葉が浮かんでいる。深山幽谷と言うより山奥そのものだ。
「裏庭園」の四角い池の周囲にはマンリョウ、イヌマキ、カエデ、ナンテン、株分け状の大きな葉を持つ植物、シダ植物などが所狭し植えられている。池には表庭園の池と同じくスイレンの葉が浮かんでいた。まるで世間から見捨てられ放置された庭といった雰囲気だ。
書院の西側、「表庭園」と「裏庭園」とをつなぐ廊下側にも「書院西側の細長い庭」があった。庭と山裾との境に設けられた白壁塀、その白壁塀を支える石垣に沿って雨水を排水する溝のようなものがあり、そこが湿地となって草が生えている。細長い庭には少しだが庭石も置かれている。田舎の農家の軒先といった表現がなされている。この細長い庭も山裾の樹木で陰気になっているが白壁塀の白さが陰気さを押えている。白壁塀の外側は竹林が迫っている。中国からモウソウチクが移植されたのは1736年(元文元年)、普及はずっと後なので、築庭当初にこの竹林はなく、別の風景(借景)が展開していたはずだ。
前回、「天野山金剛寺」で書いたが摩尼院の書院の東西方向の縁(北と南の縁辺)を東に伸ばすとほとんどが浜松城に到達した。一部の縁は久能山東照宮に到達した。ごく一部の縁は伊勢神宮内宮に到達した。このことから書院は頭を東に向けて寝ることを考慮して建てたことが判る。
書院の東西方向(北と南の縁辺)の一部の縁を逆方向の西に伸ばすと淡路島 おのころ島神社に到達した。西の方角に対し淡路島 おのころ島神社を遥拝していることも判った。
書院の南北方向の縁(東と西の縁辺)を南に伸ばすと個別に高野山の大門、金剛峯寺、奥の院に到達した。
「裏庭園」に面する書院の南北方向の縁を北に伸ばすと能勢、妙見山に到達した。
これらのことから「表庭園」は高野山の大門、金剛峯寺、奥の院を遥拝する庭だと判った。「裏庭園」は妙見山を遥拝する庭だと判った。「書院西側の細長い庭」は淡路島 おのころ島神社を遥拝する庭だと判った。
現書院が建てられた慶長年間(1596年~1615年)の時期、書院が指す遥拝先、そして庭を見れば、書院が建っている敷地は同じでも、現書院と南北朝時代に後村上天皇が天野行宮として宿泊した書院とは別物であることが読み取れる。
一般的に書院の南と北に其々庭があった場合、南の「表庭園」を陽の庭とし、北の「裏庭園」を陰の庭とするが、ここは「表庭園」「裏庭園」共に陰に籠った庭としている。皇室とゆかりの深い門跡寺院、真言宗御室派総本山「仁和寺」庭園では陽の白砂庭が宸殿を取り囲んでいた。
本坊の陽の庭を引き立てるため摩尼院の二つの庭を陰の庭としたのではないだろうか。本坊庭園の二つの枯瀧の水源が「珠」のような摩尼院の二つの池にあることをイメージ付けしたのだろうか。
書院西側の白壁塀の外側の竹林が密になっているが、「書院西側の細長い庭」は単純構造なので白壁塀の外上側に見える山裾の樹木を楽しむ借景庭園だと思う。思い切って竹をすべて伐採し、樹木の枝をはらい、太陽光が林の中に零れ落ちるようにして少し明るい借景用の山林とし、樹木の幹と幹との間に風景が消えてゆくように見せた陰陽を取り混ぜ、それを陽の白壁の背後に見せれば、「表庭園」「裏庭園」の陰とバランスが取れるように思う。
書院の全ての障子扉、襖を全開にして暗い書院内から「表庭園」「書院西側の細長い庭」「裏庭園」すべてをパノラマ的に見るのも当書院の庭を楽しみ方の一つだと思う。そうすれば「書院西側の細長い庭」の白壁が引立ち、表と裏の陰の庭がより深みを増す。
「表庭園」「裏庭園」共に陰に籠った庭であるが、瀧が見当たらないので陰の極みを追及した庭ではない。あくまで四方に遥拝先を持つ祈りに包まれた書院に寄り添う上品な自然体の庭だ。
狭い敷地に小さな池を設け、小さな石で護岸を作り、小さな石で飛び石を並べている。枯山水庭園で良く見られるような多数の大きな石を組み深山幽谷を表現するのでなく、あくまで自然に深山を見せ普通の庭に見せる工夫をしている。これは狭い敷地に合わせ小さな池を設けたことがポイントだと思う。小さな池により「表庭園」では深山をそのまま深山として見せ、「裏庭園」では普通の裏庭として見せている。そこにこの二つの庭の凄みと深みがある。
「摩尼」=「珠」にふさわしい陰徳に通じるつつましい自然体の陰の庭を作ったと推測した。
「表庭園」「裏庭園」共に多種の樹木や草木を育てている。湿度も高い、このことでハット気が付いた。この二つの庭は虫の声、蛙の鳴き声を楽しみ、山中で鳴く鳥の声を楽しむ庭だ。「表庭園」は山と書院とで囲まれている。「裏庭園」は土蔵と書院とで囲まれている。虫の鳴き声、雨音を響かせ音を楽しむ庭だ。「表庭園」と「裏庭園」とは音響効果が違うので同じ種類の虫の音色が違って聞こえることだろう。想像だが「表庭園」の虫の声は豪快に、「裏庭園」の虫の声は優しく聞こえるように思う。
「表庭園」では 春はアセビの白い花、サツキの赤い花が楽しめ、山中の鶯の鳴き声が楽しめる。梅雨は池に落ちる雨音が楽しめ、蛙の鳴き声が心に響く。夏は表庭園と裏庭園の池を通過した風が清涼な風となり書院を通過する。蝉の声が心を洗う。夜は蛍の光を楽しめる。 秋は池に映った中秋の名月が楽しめる。紅葉が楽しめ、虫の鳴き声が人恋しい思いを掻き立てる。冬は落葉樹が葉を落とすので陰気な空気から解放される。雪が積もった晴天日、庭が一変し陽の庭となる。
「裏庭園」では春はカエデの若葉、梅雨は表庭園とは違った雨音と蛙の鳴き声、夏から秋は虫の声と蛍の光、冬は落葉樹が落ち見晴らしが良くなり青空を楽しむ。
「書院西側の細長い庭」は日本の田舎の原風景に気品を持たせることも考えられている。
書院にて虫の声を聴きながら読書をすれば集中できることだろう。茶室が見当たらなかったが過去には炉が切られていたのではないだろうか。蝉など虫の鳴き声を楽しみながらの茶会が似合うと思う。
書院の三方を取り囲む「表庭園」「書院西側の細長い庭」「裏庭園」を見ながら蝉の音を聞き、或いは夜、虫の鳴き声を聞きながら思索にふけることで思いやりを養うことができると思う。
「表庭園」を日陰の男「裏庭園」を日陰の女と見れば日陰にいる二人が寄り添いながら生きている姿に見える。本坊庭園で見た日に当たる男の庭と日に当たる女の庭との組み合わせ庭園とを対比して味わえばより深く味わえる。
このように普通に見せるが普通ではない味わい深い庭が造られたのは、現代につながる茶道が確立される頃の築庭だからではないだろうか。