「6天水讼」訟卦
1910年に新淀川開削工事が完成し、流れが現在の姿になった。開削現場は水田地帯だったので容易に用地買収を進められたはず、先人の機を見た決断に敬服させられる。
鳥飼大橋付近から宇治川・桂川・木津川の合流地点付近まで聖山、比叡山が望める。そのことから高層建屋が建てられるまでは、比叡山山頂から大阪城が望めたので京都と大阪は歴史事件を共有していたと思った。
前回、淀川⑴の記事では雲が天の上にある「5水天需」需卦を書き出した。今回は需卦をひっくり返した、需卦と一体関係の天の下に水が流れる「6天水讼」訟卦を書き出すことにした。天はどこまでも高い。昼間は天空にある太陽が地上を照らし、太陽エネルギーで暖められた地上の空気が上昇気流を作り出す。よって天は上昇の象徴。夜間は月と星が地上を照らし、星座が方角を教えてくれる。
天はどこまでも万物を引き付ける。対し、水は地球の重力に引かれ、低地、窪地、地中へと向かい下へ下へと流れて行く。天と水は同色で、お互い接し合っているのに、向かう先は真逆、協力関係にない。蒸発水もいずれは雨となり地上に落下する。天は剛健、それに対し水は柔らかく見えるが、どこまでも下に向かう剛毅さを持っている。
天と水の関係から、武士は天で農民は水、経営者は天で従業員は水に例えられ、お互い別々の心を持ち、意思疎通を避けるも、背中を付け合うほどに、お互い相手を必要としている。むしろ背中を向け合っている方が自然で、両者が争うのは無意味だと説いている。
国と民との争いは重税、インフレ、食糧難にて起きることが多く、民は国が管理する裁判所を信用せず、いきなり暴力にて解決を求め、或いは外交的手段を用いて解決を求めることがある。企業においては従業員が経営者を困らせるストライキという暴力的手段、或いは政治団体傘下に組合を加入させ外交手段で解決を求めることがある。戦いや外交交渉を選択する前に、話し合いにて解決すべきことを訟卦は訴えている。
企業や個人が名声と富を求め争い訴訟になるのは、お互い正直な心が通じず、相手が信用できず、話し合いが行き詰まったからだ。結果、両者は用心しながら生きる状態になってしまう。そのままの状態を続けるのは両者共に良くない結果を迎えるので、話し合いで早期解決すべき、民事訴訟においては裁判を長引かせず、早々に和解すべきだと説く。
意見の相違は立場の違いに過ぎず、天と水のように立場の違う者同士が争うことは無意味だ。口論になると、口論に対抗するための口論となり、和解は遠ざかる。訴訟の当事者双方は、共に自らと相手の社会的立場を考え第三者にも理解してもらえる和解案を探るべきで、社会慣習、社会通念などを参考に大局から観て早期和解すべき、自己利益のみで争うものではない。立場の違いの発生は、もともとは志を同じくし、道を合わせ歩いていた者同士が、志を違え、別々の道を歩み始めたことに起因することが多い。志を同じくし歩く道を合わせていた者同士の争いなので、お互い相手のことを知り抜いている。よって話し合いでは余計なことを喋らず、お互い、誠実で嘘偽りの無い心を持ち、正直な発言、お互いの譲歩で解決に至れる。
訴訟事になれば余計な費用が発生する。和解できず裁判所の判決で敗訴した側が、判決を受け容れず、暴力による復讐を行い、或いは外交手段を使い勝訴側を落とし込む恐れがある。そうなれば、お互いの傷が更に深くなるだけでなく、問題が更に大きくなり、子孫に係争が続く。
近代における戦争、外交戦の戦いで敗者となった側の恨みは未だ続いていることからしても、訴えられたら、できるだけ早く解決すべき、もし強者が弱者を脅すことをせず、外交的圧力を加えず、自らの利益を吐き出し弱者の不満を和らげ和解すれば、弱者は訴えを引き下げる。そうすることで後日、取り返しがつかないようなことが起きることを防げる。
裁判所は訴訟内容を見て、本件は勝ち負けの争いではないと判断すれば、審議をやめ和解を勧める。もし裁判官が社会的問題を引き起こすような判決を下し、勝者が明るい名誉と利益を取得し、敗者が汚名を被され、不利益を被り社会的信用までも失えば、法廷外で新たな争いが始まってしまうので、金銭的賠償などで、大問題を小問題に化けさせ、解決結果を第三者に見せて小問題を消し去り、社会がうまく回るように導く。
現代社会はオレオレ詐欺、ネット詐欺、架空料金詐欺などの詐欺が横行している。人が信用できない社会の根源は、金銭で何でも取得できる風潮から拝金主義が蔓延し、私欲の強い人が増えたこと、自己利益のために真心を失い正直な言動をしなくなったこと、正直者は馬鹿を見る風潮から人々が真面目な行動を避け、嘘がまかり通る世の中になったこと。このような世の中を生き抜くには他人の策謀に嵌められないよう、慎重に行動せざるを得ない。商売を行うにも訴訟の解決と同じく、私心を排除し、勝ち負けにこだわらず、大きな目標に到達するため小さなことに目をつぶり、譲歩することで世界を広げなければならない。
法の運用は徳で行うべし、徳は法を基に行うべし、立法、司法、行政者は良心を持ち、良心によって物事を観た上で、法により行動し、義務、道義を果たすべきだと訟卦は説く。
立法、司法、行政者は自らに対し、国民が悦ぶ法を作り、国民が悦ぶ判決を下し、国民が悦ぶように法を執行すべきだと警告を発し続けなければならず、徳を持った立法、司法、行政者が増え公明正大な徳政が続けば、世の中の詐欺的風潮が減少することだろう。