国際庭園エリアの中で唯一際立った美しさを放ち続けている。その理由を探ってみた。遥拝を意識して作ったが如く、大興門、四角の池(東と西の護岸)、四角の池の上の東屋は北北東方角の(福井)若狭国一宮、若狭彦神社上社を遥拝する向きになっている。大興門と若狭彦神社上社を結んだ線が(京都)愛宕念仏寺境内を通過するので、門を潜って庭に入ることは若狭彦神社上社、愛宕念仏寺に礼をすることに通じている。池の南から池と東屋が指し示す方向を仰ぐことは若狭彦神社上社、愛宕念仏寺を遥拝することに通じている。次に東南東方向を見ると大興門は(奈良)薬師寺を、池と池の東屋は(奈良)唐招提寺を遥拝する方向に建造されている。渓流のある築山上の東屋側から四角い池と池の上の東屋が指し示す方向を見ることは唐招提寺を遥拝することに通じている。西北西方向を見ると、大興門、四角い池、池の東屋は(韓国)洞華寺の方角に対し反時計方向に約1度の誤差で向いている。(百済国首都址)扶餘 扶蘇山城の方角に対し反時計方向に1度強~2度の誤差で向いている。四角の池の東屋から渓流がある築山上の東屋の屋根北端辺を眺めることは洞華寺及び扶餘 扶蘇山城に思いを馳せることに通じている。作者が意図しなかったことかも知れないが、封建時代の庭と同じく遥拝が取り入れられ祈りの庭となっている。金をかけて作った庭ではない。人造石をふんだんに使い、貯め水を渓流に流しているので水に少し匂いが付いている。しかし、祈りの庭となっていること、庭が陰陽太極図を基にアレンジしたシンプルな形となっていること、人が心地よく留まれる東屋をそれぞれの極点に設けたことで、それぞれの東屋に座れば陰陽思想が学べる。築山上にある東屋は人が天に近づくことを求めて山に登っても、天は更に遠くへと逃げて行く。人は上を目指して生きるが、いくら上に昇ることを求め続けても上昇限界点(極点)がある。築山上の東屋を上昇限界点と見定め、落ち着いて座れる築山上の東屋から足元の風景を見るべきことを教えている。逆に池の上にある東屋は人が水のように下に下へと進んでも水面下まで行くことはできない。人がいくら謙譲しても下降限界点(極点)があるので、池の上の東屋をこれより下れない限界点と見定め、落ち着いて座れる水上の東屋から上の風景を見るべきことを教えている。人が心地よく座れる上の場所、人が心地よく座れる下の場所から、それぞれ見える風景が異なること、上の立場と下の立場で行えることの違いを思考できるようになっている。更に上と下の東屋は心を持った人間が落ち着ける場所とはどのような場所なのかを教えている。陰陽思想を基に封建制度をうまく表現している。特に下の東屋はいつまでも座れるほどに心地よい。開き直って生きられる庶民の方が幸せなのかも知れない。