美は調和から生まれることを画いた庭
邸宅は佐多美舟・西郷恵一郎邸宅と同じく23㎞南南東の開聞岳を遥拝する方向に建っているが、庭は邸宅の遥拝方向とは反対側にあり、母ケ丘を借景とした庭となっている。イヌマキ、ツバキ、サツキの大刈込が山のような大きな刈込となっている。他の知覧七庭園とは違い大刈込が海浪ではなく、海上の山を表現している。山の下に活火山の竜宮が画かれている。知覧から東シナ海を見て海上山は屋久島、竜宮は鬼界カルデラとなる。よって海底火山のような石組みは鬼界カルデラ、その上の大刈込は屋久島となる。借景山の母ヶ丘は沖縄本島を当てはめ、庭の左側の大刈込は大隅半島を模したものだ。この庭は邸宅が遥拝する開聞岳の上空から見た風景を写したものだ。屋久島の山が上にあり、その下に鬼界カルデラの火山がある。山下に火があるのは易経「22山火賁」美しい火を山がしっかりと止めている象だ。賁(ヒ)の中国語の意味はすばらしい装飾。火山により天地が交わるようにして美が作られる。無秩序に交わるのではなく、調和しながら交わってこそ美となる。その意は美しいものには行き過ぎた飾りがあってはならない、虚飾は排除すべき。ひいては美しい領地に思いを至らせる庭である。当庭は火山によって生まれた山々を画いている。特筆すべきは借景の母ヶ丘を沖縄本島に見立て、雄大な景色を雄大に写したこと。知覧七庭園はそれぞれに特徴がある。西郷恵一郎庭園は領主の言葉を受け止める庭だった。平山亮一庭園は母ケ丘を集中させて見せる庭だった。佐多美舟庭園は沢を強調し自己修練を勧める庭だった。佐田民子庭園は火を噴きだす海中火山の石組みにて火山の多い薩摩を画いていた。佐多直忠庭園は領主の威光を反射する庭だった。森重堅庭園は知覧武士に与えられた役割と目標を画いていた。そしてこの庭では屋久島を中心とした風景を画き、美しい領地に思いを至らせるようにしていた。領主が住んでいた御仮屋とその庭園は失われているが七庭園が作庭当時のまま遺されているので、江戸時代の領主と家臣達の関係が十分に読み取れる。彦根には藩主の玄宮園は遺されたが家臣団の庭は潰された。それに対しこちらは家臣団の庭のみが遺された。現代庭園には虚飾で成り立たせているものが多くある。儒教の教えを表現した知覧七庭園を見て思ったのは現代庭園から虚飾部分を排除すればどのようになるのだろうか。虚飾の庭に、その庭に与えられた目的を易経の象意に当てはめ、その象意を庭に吹き込めば、どのようになるのだろうか。