成巽閣(石川県金沢市)

成巽閣(せいそんかく)兼六園に隣接

「万年青の縁庭園」

雪舟水墨画のような緊張感あふれる筆線を写し、豪快な武家をイメージして作られている。庭の中心に近代技術を誇る石灯籠を置き、地面を切り裂くように深く掘りこみ、そこに大きな高低差のある水路を作り、比較的大きな石を組んで水路を豪快に見せ、豪快な水音を坪庭に響かせている。キャラボク、ツバキ、サツキ、アセビを荒々しく剪定し、マツを雷落の姿に剪定している。赤い葉のノムラモミジを1本配している。沓脱石の代りに石を組んで作った四角い火鉢のようなものに小石を詰め込んでいる。全体的にすばらしい意匠で明治時代の傑作庭園だと思う。
水音を琴の音色ではなく何かを削り取るような音色としたことが際立っている。血なまぐさい臭いが漂う明治~昭和初期の庭だ。水音が心にこびりついた血の匂いを削り取るように洗い流す音色に聞こえてしまう。例えて言えば前衛的な作品を展示する近代美術館の中庭にふさわしい。水路は深く掘り込んでいるが陽の部分が明確でなくこの庭から陰陽表現はあまり感じられない。陰陽観の中に自省を求める武家庭園から乖離している。武家の女性は源氏物語を教養としていた。この万年青の縁庭園は源氏物語絵巻の表現を写していないように思う。主庭「飛鶴庭」の雰囲気とも大きく異なる。この場所にこの庭、この水音は武家文化に誤解を与えてしまう。加賀の伝統工芸品、芸術品に似つかないように思う。

万年青の縁庭園という名前なのに落葉樹で春から秋に葉が赤いノムラモミジを配している。庭の名前と一致しない樹木だ。戦争に明け暮れた明治、昭和は遠くなり、戦後も遠くなったのだからこの庭の使命は終わったと思う。この庭は別の場所にあれば素晴らしい庭なので近代建築の傍に引っ越してもらい、ここには本来あったはずの穏やかな主庭「飛鶴庭」と連なりつつ琴の音色のような優しい水音が楽しい庭にした方が成巽閣と調和が取れる。本来は清々しい水音を聞きながら徳川家を敬う気持ちにさせる庭だったはずだ。豪雪地帯なので複雑な石組はなかったと思うが、太陽光を反射する石を陽とし、水路を陰とする庭だったと想像する。

「つくしの縁庭園」

万年青の縁庭園が何かを削り取るような水音を奏でていたのとは対照的に全く水音を出さない曲水を中心とした静の庭、静かな庭にふさわしくドウダンツツジが白い可憐な壷形の花を咲かせ、豪華なマツが贅沢な気持ちにさせてくれる。静かに贅沢な時を過ごすにすばらしい近代庭園であるが、壷形の花を見ているとこの庭で声を出すなと言われているような気になる。この庭先にはかつて能舞台があった。「つくしの縁」の屋根は、廊下や屋内から能を楽しむため桔木(はなぎ)構造(テコの原理)となっている。長い距離の「つくしの縁」には1本しか柱が使われていない。庭の東側には駿府城の方角に向けて建てられた土蔵がある。この土蔵は成巽閣とセットで、能舞台の音響効果を考えて造られたはずだ。能舞台が撤去された今、この素晴らしい縁側は庭を鑑賞するためだけに使われている。しかしながら能の動きを楽しむために視界を良くした縁側と、声の音響効果を考慮した土蔵とは、静の庭と釣り合っていない。まるで江戸時代の能芸能を封印するかのように時間を止める静の庭だ。理想を言えば能を楽しむための空間だったので能舞台を再現するのが良いと思う。もし庭のままとするならば土蔵の音響効果を活用し水音が楽しめ、「飛鶴庭」の雰囲気を持ち込んだ庭にした方が良いと思う。この庭も「万年青の縁庭園」と同様に政治目的で改造された庭であり、その使命は終えていると思う。

主庭「飛鶴庭」

アカマツ、ゴヨウマツなど多くの松が植えられている。隣接する兼六園のマツの大木、巨木と一体感がある。庭に下り散策し松の香りと季節の花を楽しむ庭だと思う。庭先に下り散策できないので2階の窓から鑑賞した。十分に鑑賞していないので断定できないがマツなどの大木の幹を楽しみ、幹と幹との間に庭全体を見せ、マツの梢からこぼれ落ちた太陽光にてコケ面と飛び石とを浮かび上がらせ、コケ面を重厚に見せる庭だと思う。コケ面の明るさ、こぼれ落ちる太陽光の変化にて陰陽が変化するように見せ、穏やかな風情の中に緊張感あふれる自省の庭だと思う。源氏物語絵巻の中にこの庭のような情景があるのだろうか。「巽御殿」は幕末の1863年(文久3年)造られた。当時の建坪は1,500坪で、現在の建坪は500坪。1874年(明治7年)に「巽御殿」から「成巽閣」と改称され「万年青の縁庭園」が作られた。1909年(明治42年)「前庭」を改造して表門、馬車回し、玄関が整備された。その頃、能舞台が撤去され、主庭「飛鶴庭」から「万年青の縁庭園」に続く水路を直流から曲流に改造し「つくしの縁庭園」が造られた。1949年(昭和24年)「煎茶席三華亭」が移築された。隣接する「石川県立美術館」が何時建てられたのか判らなかったが、美術館の旧館を利用し1984年(昭和59年)「石川県立伝統産業工芸館」が開館した。

成巽閣の向きをグーグル地図で調べて見た。判別つけにくかったが、強いて言えば駿府城に向いている。「辰巳長屋」の東と西の縁も東南方向へ伸ばすと駿府城に到達した。成巽閣の東側「石川県立美術館」外側の直線道は兼六園「小立野口」を突き抜け「天徳院」の方向へ貫かれている。この直線道の中心線をそのままグーグル地図上で伸ばすと駿府城に到達した。これらのことから「万年青の縁庭園」「(能舞台があった)つくしの縁庭園」「(改造前の)前庭」は駿府城遥拝目的の庭だったことが判る。当時の庭へと想像が広がる。