旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷

茅葺建屋の縁側に座り、手入れが行き届いた庭の中心石を探した。庭正面、なだらかで低い芝面の築山上、左に神の権現石が、右に佛が宿るような形の石が、二つの石は共に庭の中心石となる風格があるが、その二つの石の中間に刎ねられた首のような石灯籠の火袋部分が置かれている。その石灯籠の火袋部分を中心に座禅石のような神の着座石が円を画いて置かれているので、石灯籠の火袋部分が庭中心となっている。芝面の築山、鶴を模した松、緑の山、その背後に天狗山のある青い山脈が控え、青空がある。それぞれの山、松の緑色の濃度が明確に違い、明るい芝面が浮かび上がるようになっていて、舞台のような芝面上に置いた黄色の石灯籠の火袋部分を晒された首のように見せ、視点を集中させている。細長い池に沿って風が流れているように黒松、赤松が剪定されている。背後に青空、青い山脈、緑の山、庭の築山があり、屋敷側の台地と緑深い山との間には深い谷があるので、大きな風が庭及び借景に流れていると感じる。庭鑑賞に集中すれば風で心が洗われているような気になり、更に鑑賞を続けると心が寒さと恐怖を感じるほど大きな風の流れを感じる。現代世界には人々の想像を超えた大きな風が吹き、人々は大風に晒され、日々対応に追われている。それを表現している。そして、晒された首のような石灯籠の火袋部分は封建社会が残酷な世界だったと強調し、爽やかな音を立て池に流れ込む綺麗な川水の音にて、封建時代を洗い流し続けている。まるで舞台の上に転がされた髑髏に風と水音を吹きかけ封建時代を風化させつつ、もう一方では強烈な変化を起こす強い現代風を見せている。封建時代の残酷さと現代風の恐ろしさ両方を見せられている感じだ。池の周りにイネ科かアヤメ科かわからないが細い葉の水場の植物が多く植えられ、欧米庭園の雰囲気を出している。鶴の形の黒松を正面に見せているが亀島はどこにも見当たらない。その理由が茅葺建屋内の整備以前の庭写真を見て判った。2015年~2016年の整備にて、茅葺建屋から見て右にあった二股の赤松を左奥に移植、鶴の形をした黒松を目立たせるため、手間にあった多くのサツキなど丸刈りすべてを撤去、池の形を大きく変え、庭石を組みなおしている。整備前は伝統的な武家庭園、現在は芸術性を追求した現代庭園。庭の外には撤去された大量の庭石が積み上げられていたはずだ。整備以前の庭目的を探るためグーグル地図で茅葺建屋の遥拝先を調べた。建屋は南南東31.31㎞先の玄宗皇帝が楊貴妃を弔うため自ら彫ったと伝わる菩薩像を本尊とする法雲寺、もしくは2.75㎞先の天狗山頂上に向いている。法雲寺と天狗山頂上の方位差は約2度。茅葺建屋は復元され、庭は大きく作り替えられたので、向きまで正確に復元したのか不明、元々の茅葺建屋は目視できる地元の信仰山、天狗山及び頂上付近の白倉神社を遥拝していたと読んだ。茅葺建屋内に展示されている整備前の庭写真では借景の天狗山頂上に向かって飛び石が伸び、飛び石の先に神の権現石が置かれ、権現石を庭中心石としている。天狗山に向かい左側に主幹が1本の雄を表現する黒松が、右側に雌を表現する二股幹の赤松があり、多くのサツキの丸刈りが波のように配され、天狗山に庭が続いているように見せている。つまりは茅葺建屋から天狗山を仰ぐと共に、天狗山の神を茅葺建屋に迎え入れる形になっている。天狗山を直接遥拝し、天狗山の神を茅葺建屋に迎え入れる庭だったものを、芸術作品としての現代庭に作り替えている。これはこれで現代世界の本質を表現した優れた庭であるが、現代美と引き換えに神仏と一緒に暮らしていた地元の歴史遺産庭を破壊した。歴史遺産街の人は伝統や習慣を大切にする。庭をそのまま保存して欲しかったはずの地元民の意向を無視し、現代美の庭へと作り替えたことは日本政府による日本文化の破壊行為だと思ってしまった。