善楽寺 宮本武蔵の庭

宮本武蔵の作庭と伝わる枯山水庭。円珠院本堂前の庭と戒光院東側の庭はつながっていたと思えるし、戒光院東側の庭は近年手が入れられている。空襲で全焼した寺なので建屋を優先し二つの小さな庭に分けたのだろう。近年埋め立て作られた南の明石漁港まで320m程度離れているが、未だ潮風は感じられる。今は住宅に囲まれ借景を失っているが、古地図を調べると作庭当時は南側のすぐ傍に砂浜があり海が近くにあった。東北の明石城天守台跡までわずか1.13kmなので、明石城、低い山々、海と砂浜を借景とした雄大な庭であったはず。戒光院東側の庭の中心石が迫力あるので、この庭について書く。庭中心石は日本刀を振りかざし、いどみかかってくる者に対し、体を斜めにして半身の構えで立ち向かう武術者、おそらく巌流島の決闘中の宮本武蔵の姿を本人が画いたのだろう。飛び石は木刀で佐々木小次郎の刀をさばき、木刀を振り回し佐々木小次郎を追い込んだ足さばきを画いたようにさえ見える。山のように立つ中心石と枯山水の沢池からなるので、宮本武蔵が庭に易経「41山澤損」損ずる道を表現し、身を切らせて骨を切る剣術の奥義と、剣術鍛錬の道を表現したと思った。私は剣道も剣術も学んだことがないが、山澤損の意味から剣術鍛錬の道を想像し書き出して見た。①YouTubeで古流剣術を観察すると、上半身を山のようにそびえさせ相手を威圧し距離感を錯覚させた上で、意識して脊髄を軸に身を回転させ肩、腕、肘、手首、手を使い日本刀で敵を切る、突く、制圧行為を繰り出している。これに対し下半身は沢のように流れるように無意識に型通り動かせている。つまり、上半身は脳で動かし、下半身は体の直感で型通りに動かせている。剣術道場に入門する者は通常、スポーツ剣道経験者なので腕に自信がある。師について剣術を学び上達したい者なので、軸を中心に上半身を動かす基本は出来上がっている。よって、先ずは下半身の動作の型を覚え、下半身が脳を通さず適時適格に動くようにした上で、次に上半身の型を学び、色々な型を自在に繰り出せるように仕上げ実戦を想定した練習、試合を繰り返し、自らの剣術を完成させるのが剣術の道だと易経、山澤損が説明している。②剣術道場に入門し、師に付くと剣術の奥行きの深さに飲み込まれてしまう。これまで自身が剣道で会得し成功体験した体の動かし方と異なる下半身の動きを教えられ、下半身の動きが柔軟になり過ぎ、思うように上半身が動かせなくなり、剣道も弱くなり、師の指導に疑問を抱いてしまう。他の門下生の練習を観察することで、師を信じ、心を開き、師の教えを身につけるしか上達できないことを思い知らされる。③下半身の型が身に付くまで足腰の動きが軟弱となり、入門前に会得した体の動きは役に立たず、危なげな剣術となるが、師を信じ、鍛錬を続けるしかない。④時間を止めたように、先ずは容易に身に付けられる下半身の動きの型を身に付け、次に難度の高い下半身の動きの型を身に付け、上体の動きに連動し下半身が自在に動けるようにする。⑤上体の動きに連動し型どおり自在に下半身が動くようになれば、派手に刀や木刀を振り回し、あらゆる向の空を切る練習に入る。⑥あらゆる向の空気が切れるようになれば、次は敵の刀から逃げる、退く練習に入る。自らの身を守るために、敵の攻撃を避け続ければ不利な体勢、卑屈な体勢に追い込まれる。追い込まれると切られてしまうので、切り返すタイミングをつかむ練習を繰り返す。⑦切り返すタイミングを捕まえられるようになれば、次は体が感じるところに刀を差し出し、敵に刀の刃を当てる、或いは突く練習に入る。④~⑦の練習は下半身が無意識に型通りに動かなければ成功できないので、上半身の練習のようで下半身の練習でもある。⑧上半身と下半身とを自在に連動させて動かせるようにした上で、実戦を想定した練習、試合に入る。相手がいるので、想定外の攻撃を繰り出され、未知の体の使い方、刀の使い方を見せ付けられる。身を切らせて骨を切ること、自らの命を投げ出す覚悟がなければ試合にすら出られないことを思い知らされ、本物の剣術世界へ飛び込んだことを実感する。⑨実戦経験者、上段者と試合すると、その実力を見せつけられ、心が折れてしまうほど叩きのめされ、自信喪失してしまう。間違っても叩きのめしてくれた年下の上位者に卑劣な行為を行う、誹謗など道場を汚す行為を行い、自身の自尊心を守るようなことをしてはならない。みじめに負けた理由を分析し、上位者の体の動かし方を分析し、技を磨かなければならない。⑩技を磨いて、実力が少し上の上位者に叩きのめされることが少なくなり、叩けるようになり、少し上の上位者と並ぶことができれば、その上位者とライバルになれる。ライバルを得ることでお互い研鑽しあうことができ、お互いに技を磨き続けることができる。新しい技をこなせるようになれば喜びを分かち合えることができ、練習や試合がより一層楽しくなる。⑪ライバルと技を一つ一つ磨き続け、達成感を得ることを続けていると、剣術を通し心の鍛錬を行うことの重要性に気付く。節度を持って師や上位者に接し、節度を持ってライバルと接し、節度を持って下位者と接することで、人を尊重するようになり、水が流れるように自然と人と接することができるようになる。⑫節度を身に付けたことで、道場が自らの心を潤してくれる場となり、心を落ち着かせる場となる。心が落ち着けば剣術を更に上達させることができ、指導者への道へと進むことになる。日本人は人を切る剣術の鍛錬を心の鍛錬と結び付け剣術道とし、多くの流派を生み出した。今も多くの古流剣術道場があり、多くの人を魅了し続けているがゆえに日本刀は光を放っている。心を鍛錬する古流剣術道と心を込めて作られた日本刀が一体であるが故に、古流剣術道が流行すればするほどに日本刀の芸術価値が高くなって行く。