万象を包み込む山庭
いたるところにアセビが植えられ山奥の風情を見せる庭は実業家 田中源太郎(1853年~1922年)が自らの姿を庭に写し、それを来訪者に見せるために作ったと推測した。庭を易経の山に見立て、それを下卦として、上卦に天(空)、沢(爽やかな雨雲)、火(太陽)、雷、風、水(大雨を続かせる雨雲)、山、地(コケ面)を当てはめ、それぞれの象意を読み取らせ楽しませる。庭の上に天を観れば「33天山遯」空に近づくため山を登れば登るほどに空は高くに離れていく。人が気象の変化に合わせて生きるように人は時流に則って適切に生きるべきだと見せる。庭(山)の上に潤いをもたらす雲がかかると「31沢山咸(カン)」若い男(山)と若い女(沢)が互いに感じ合い応ずるように、お互い素直な心を持って惹きあう純粋な、電気が走るような恋愛は慎重に推考しないと誤断してしまう。十分に調査し熟知している場合には早急に手を打たなければならない。そのような悩ましい美しさがこの庭にある。若いカップルが多いのは潤いあるコケ面に秘められた、惑わす美しさがあるからなのだろう。太陽(火)が山の上を旅する姿は「56火山旅」山は止まって動かないが太陽は山を離れ去っていく。旅する者と定住者との間に真の親和はない。山火事となった場合も燃え上がった火はやがて消え去る。人を山にたとえ、何が起きても山のように自らの本分を守って生きることを勧める。山の上に雷が轟くと「62雷山小過」山にとって雷の轟きは小さなこと。社会的に信ある人の言動や行動は多少、過ぎるくらいが良い。山の上に風が吹けば「53風山漸」山また山の風景は物事が止まっているように見えるが、物事に終わりはない。風が吹き樹木が成長するように徐々に進むのが自然の道理。人は結婚にならって正しく、落ち着いて、ゆっくりと前進して行くべきだ。山の上に何日も大雨を降らし続ける雨雲が居座ったような状況は「39水山蹇(ケン)」悩み苦しみがとどまっている。人に困難が降りかかったら逃れる術はなく、真摯にその事態に従うしか手がない。山また山の風景は「52艮為山」山を見習い、分限を知り止まるべき時は止まるべき。自分が為すべきこと以外のことにまで踏み出すべきではない。本来堂々たる山が地に覆われたような、山の表面がコケ面に覆われ地の下に姿を消したようなこの庭は「15地山謙」地を見下ろす山が、地の下にあるように軽く、謙譲である。偉大な人が謙譲の姿を見せてこそ有終の美を飾ることができる。この庭の職人さんにコケについて教えて頂いた。刷毛でコケ面に落ちたカエデの花や実を掃き、カエデの枝葉にて湿度を保てる空間を作りコケ面を守り、雨の日に雨のかからないコケ面に水撒きをし、崖に植えるコケは山の中の同じような環境で育つコケを採取してきて移植する。庭のコケ面を綺麗にするのは当然ながら、庭の外の石垣面のコケ面を綺麗にすることで、庭に入る前に感動を与え、飛び石に乗っかった小石を常に掃き来客者におもてなしの心を伝える。庭石がクッキリと見える理由は庭石や周囲のコケ面を綺麗にしているからだと判り納得した。大正時代に建てられた書院なので遥拝している先は無いだろうと思ったが調べて見ると略、東の熱田神宮を遥拝する方向に向いていた。熱田神宮と書院とを線で結ぶとその線は叡山ケーブル比叡駅近くを抜け、叡山ロープウエイの索道を越え、比叡山坂本ケーブルの軌道近くを抜けた。北は叡山電鉄叡山本線八瀬比叡山口駅に向いていた。田中源太郎経営の京都電燈が叡山ケーブルを開設したことと関連あるのだろう。書院内から東方向の山庭を望むことは熱田神宮と対話することに通じているが、近代庭らしく庭は書院の南方向に重点的に作られ、茶会などを盛り上げる意図を感じた。