楊谷寺(ようこくじ)

遥拝先を明示する浄土苑

「奥の院」の暗い堂内から東北方向に開けられた扉を望むと、23㎞先の比叡山山頂が見える。スギ・ヒノキの大木の幹と幹との間から、明るい空に比叡山がシルエットのように浮かび上がり美しい。「奥の院」が比叡山遥拝堂としての役を担っていると推測し、グーグル航空地図で「奥の院」向先を調べると延暦寺法然堂に向かっていた。この遥拝線は根本中堂と大書院の間を通り抜けたので法然堂だけでなく延暦寺中枢部も遥拝している。眼力稲荷も同方向に建てられていた。建屋に沿って比叡山を見ることは法然堂及び比叡山中枢を拝することに通じている。本堂、書院、山門、阿弥陀堂、護摩堂は東北方向の(滋賀県)日吉大社本殿に、西北方向の(亀岡)穴太寺本堂に、東南方向の(八幡市)正法寺「お亀の方」墓所に向き、それぞれを遥拝している。日吉大社すぐ南の日吉東照宮と(九州最南端)佐多岬の御崎神社を線(A)で結ぶと阿弥陀堂、本堂、書院と本寺の中心を通過した。(亀岡)穴太寺本堂と正法寺お亀の方の墓所を線(B)で結ぶと本堂と書院の間、楊谷寺の中心地点と庭(浄土苑)を通過した。A線とB線は本堂と書院を結ぶ楊谷寺中心点でクロスしている。浄土苑の亀島には正法寺方向に細長い石橋が、穴太寺方向に太い石橋が架けられ、御崎神社方向に向けて池の中に飛び石が並び置かれ、日吉東照宮方向に亀頭が突き出している。まるで亀島を中心に十字を切っているように石橋、飛び石、亀頭が配置されている。石橋、飛び石、亀頭は書院などの各建屋と略平行に配置されているのでA線とB線と略平行と言える。日吉東照宮に神として祀られる徳川家康と、側室、お亀の方を浄土苑で結びつける意味だと推測した。亀島上の背の高い石は家康、背の低いずんぐりした石はお亀の方だろうか。佐多岬近くの御崎神社は薩摩藩領なので、浄土苑亀島の十字デザインから丸に十字の家紋を連想してしまう。御崎神社は島津氏琉球出兵の際、総大将樺山権左衛門久高が祈願して渡海、目的を達して帰国後、琉球国の鎮護として火尾の地より現在地に遷して再建したと伝えられている。徳川幕府が薩摩藩に琉球出兵を命じたことを庭に画いたのかも知れない。(八幡市)正法寺の庭にも2基のマリア灯籠を結んだ線と、山裾上の春日型石灯籠と庭の小さな石灯籠を結んだ線にて十字を切っているデザインがあった。両庭園に十字デザインの共通点がある。尚、石清水八幡宮と熊野本宮大斎原を結んだ線は正法寺の方丈裏庭園を通過するので、山裾上の春日型石灯籠と小さな石灯籠を結んだ線もこの線に平行に合わせた、或いは線上に配置したと思う。2基のマリア灯籠を結んだ線は今はどこにあったか判らなくなった名古屋市東区山口町にあったお亀の方(相応院)の菩提寺、相応寺の相応院墓を指し示していたのではないかと想像する。もしそうであれば両庭園にお亀の方墓所遥拝の共通点がある。当寺の各参道は建屋の向きと同じ遥拝先に向かって伸びているが、山門の下から東南方向に延びる参道のみ(奈良)手向山八幡宮に向かって伸びている。河内源氏系の寺だと思った。浄土苑は重森三玲氏による名庭100選に入っている。まるで203高地に駆け上がる兵隊のような小さな石による石組みがされ、石灯籠は髑髏のように見える。重森三玲が作りたかった庭だったのかも知れない。正法寺の庭同様、崖のように切り立った山裾を利用し、多数の白系の石を積み上げ、石組みされた崖面と対話ができるようになっている。本堂から聞こえてくる般若心経の読経が反響し心に沁みる。書院、本堂方向に沿って庭を鑑賞することは正法寺お亀の方墓所を背にして穴太寺本堂を遥拝することに通じているので、山裾面(崖面)石組み石になぞらえた如来、菩薩、明王と佛教対話する内省庭だ。月夜は白系の石が浮かび上がり、より心に沁みる庭になることだろう。浄土苑と正法寺方丈裏庭とは書院と崖のような山裾に囲まれた閉鎖空間に池を設け、池に映った天空を心に取り込む構造となっている。江戸封建社会のNo.2として常に洞窟の中のような世界に籠り、内省の日々を過ごしていた尾張徳川家を表現したように見える。ドウダンツツジ、サツキ、マツ、ツバキ、カエデで構成された武家庭園なので、そのような印象を受ける。浄土苑には十字を切るデザインがあり、それぞれの先には意味を持った遥拝先があるので、遥拝が日本庭園に深く根付いていた証拠がここにある。奥の院の右側にも小さな心字池を中心とした庭がある。樹木で覆われ航空写真では橋の方向が見えず遥拝先が特定できないが、構造的に浜松城遥拝庭のような気がする。心字池の池底がコンクリートで固められ、橋がコンクリート製に補修されて近代庭になっているが、ツバキ、マンリョー、カエデ、アセビなど武家庭園樹が遥拝庭の面影を残している。本来は樹木で覆われず周囲の山々を借景とした見晴らしの良い庭だったはずで、天上池の雰囲気を持っスケールの大きな庭だったと思う。毎日、バケツで池に水を注がなければならないが池底のコンクリートを剥がし泥底に戻し、コンクリート橋を石橋に戻し、コケ面を回復させ自然と一体感ある庭に戻し、庭を覆い隠す樹木を伐採して借景庭園に戻せばたちどころに美しい遥拝庭に甦ると思った。