渉成園(枳殻邸)

大名庭園と同じ役を果たし続ける庭

東本願寺別邸内だからか、臨池亭、滴翠軒、築山、樹木に囲まれたところに澄んだ水を満たした池を配したためか、念仏が聞こえてくるような気がする。瀧の音色は単調な音の繰り返しだが、建屋と共鳴しているので迫力がある。澄んだ池は太陽光線を良く通し、池底の緑色の藻が光を吸い込むので鑑賞者の心も池の中に吸い込まれる。全体的に深い緑色の石が多用され、それらの石が仰ぐように置かれているので、おだやかな宗教的雰囲気が出ている。視覚効果と瀧音の反響による音響効果からか念仏が聞こえる気にさせられる。鳥取市観音院の心字池に泳ぐ鯉は煩悩を示し、煩悩と心とは無関係であることを教えていたが、この池は底を見せ、黒い鯉と池とを一体化させ、水を得た魚を見せ、鑑賞者の心を池の中に吸い込むので、鑑賞者は臨池亭、滴翠軒と一体化させられる。代笠席(茶室)を取り囲む生垣が箱型に剪定されているので、一見武家風ではあるが武家庭園の生垣ほどに真四角に刈り込まれておらず、太陽の光を部屋いっぱいに入れる茶室の南側に庭を広く取っているので武家の茶室のような緊張感がない。ここも太陽光の中にある茶室に来客者を溶け込ませる雰囲気がある。意匠性に優れた傍花閣近くの小川に板を嵌め、流れに高低差を付けたことで発する水音も単調。他庭園で良く聞こえる琴の音色が出る小川ではない。印月池を中心とした庭園内を散策すると大名庭園のようにゆるやかに風景が変わる。単純構成の庭なので東山を借景とした庭園であったことが読み取れるが、今は周囲にビルが林立し、樹木が大きくなり、回棹廊(かいとうろう)や縮遠亭から眺望できたはずの東山が見えなくなっている。東山から昇る太陽、月を追う楽しみ、ビルが放つ大量の灯りが月夜の美しさを減退させたことが見て取れる。池は浅く広く、池の東側部分は比較的狭くなっていて波立ちを防ぎ、回棹廊や縮遠亭から池に映る月を楽しめる工夫がされている。池の西側は広く、広い芝生面に接しているので風が吹けば波立ち漣が楽しめる。回棹廊の中心に沿って北に線を延ばせば京都御苑内厳島神社に至る。更に線を北上させると京都御所紫宸殿前白砂庭から京都御所を突き抜け相国寺境内へと至る。南に線を延ばせば玉置神社の玉置社に至る。この線の途中に唐招提寺境内、薬師寺東塔がある。回棹廊は玉置社と京都御苑内厳島神社、或いは京都御所と玉置社、唐招提寺、薬師寺を祈りで結びつける役割、神の通り道としての役割を担っていると推測した。印月池の北島に建つ縮遠亭(茶室)と池の南端に建つ漱枕居(茶室)の雨樋は竹製で茶室が樹木に溶け込んでいる。縮遠亭、漱枕居の障子は印月池に反射した光の変化を映し時の変化を感じるように設計されている。縮遠亭は下賀茂神社と浜松城遥拝所、縮遠亭の上段の間は多賀大社と二条城遥拝所、漱枕居は八坂神社遥拝所として作られたように思う。北島と建屋群側とを結ぶ木造橋は浜松城天守閣方向に伸びている。浜松城歴代藩主は徳川幕府の重役へと出世したので、伊勢湾を超え浜松城に情報を求める意、徳川幕府との懸け橋となる意を込めてこの橋を架けたと推測した。閬風亭(ろうふうてい)から東側に庭を望むと東山が望めるので本来の庭を感じることができる。池の際や北大島と南大島の周囲などに比較的大きな石を配し東山をより遠くに、より大きく見せている。貴船神社の少し上流、貴船川の源泉あたりと熊野本宮大社大斎原とを線で結ぶと、その線は相国寺の方丈、法堂を通過し、京都御所紫宸殿など御所の中心建屋を通過し、建礼門そして御所南側の広く長い参道に沿ってその中央を貫き、渉成園の大谷家邸宅を通過する。渉成園敷地外周の南北ライン、建屋(臨池亭・滴翠軒・園林堂・偶仙老・蘆庵・閬風亭・大玄関など)の南北ラインはピッタリと熊野本宮大社大斎原に向いている。東本願寺(真宗大谷派)本山敷地外周の南北ライン、御影堂、御影堂門など建屋の南北ラインもピッタリと熊野本宮大社大斎原に向いている。東方向には渉成園敷地の東西ライン、北の建屋(臨池亭・滴翠軒・園林堂・偶仙老・蘆庵・大谷家邸宅など)の東西ラインはすべてピッタリと久能山東照宮に向いている。南の建屋(閬風亭・大玄関など)の東西ラインは駿府城天守閣に向けてある。東本願寺本山から渉成園まで延びる通りとそれに続く渉成園の門から東へ延びる道、そして東本願寺本山敷地の東西ライン及び御影堂、御影堂門などの東西ラインもピッタリと久能山東照宮に向いている。東本願寺本山敷地内で久能山東照宮方向にピッタリと向いていない建屋は1度程北方向の駿府城天守閣に向いている。東本願寺本山及び渉成園は全体で東に久能山東照宮を、南に熊野本宮大社を遥拝している。本尊は久能山東照宮を拝している。余談になるが西本願寺(浄土真宗本願寺派)本山敷地北側の東西ライン、御影堂、御影堂門は駿府城・久能山東照宮に向いているがピッタリではなく、ごくわずかにずらせてある。西本願寺本山敷地南側の東西ラインは豊国神社に合わせているようでそうでもなく、駿府城・久能山東照宮方向に合わせているようでそうでもない微妙な向きになっている。西本願寺の東方に延びる正面通りは綺麗な直線ではなく、総体的に豊国神社に向いている。西本願寺敷地の東側の南北ラインはピッタリと熊野本宮大社大斎原方向に合わせてある。しかし敷地西側の南北ラインは熊野大社本宮にピッタリと向いていない。ごくわずかにずらせてある。御影堂、御影堂門の南北ラインは熊野大社本宮大斎原方向にピッタリと向いているが、敷地内の建屋で微妙に合っていないものがある。東西の本願寺のラインから判読すると東本願寺は完璧に徳川幕府に従っていたが、西本願寺は徳川幕府と微妙な間隔を置いていたようだ。佛教の聖地ブッダガヤの大菩提寺(ゴータマブッダの菩提樹)と久能山東照宮とを線で結ぶと、その線は相国寺(承天閣美術館)と竜安寺(方丈庭園の南)を通過する。渉成園、東本願寺、西本願寺は相国寺より少し南になるので、各建屋はブッダガヤの大菩提寺方向に対し2度程度ズレはしているが、東西本願寺大本山建屋と本尊は西方信仰を具現化していると見られる範囲内としたのかも知れない。ブッダガヤの大菩提寺と滋賀院門跡とを線で結ぶと、その線は比叡山延暦寺を通過する。延暦寺大講堂は背後にブッダガヤの大菩提寺がピッタリと控えるように建てられている。京都三十三間堂もブッダガヤの大菩提寺が背後にピッタリと控えていて、西から1001体の観音がやって来た様子を見せている。石川丈山の趣向によるものか、庭は平等精神にあふれている。400年以上も門首の隠退所として使われ、現在も大谷家の表札がかかっている。現役の大名庭園は一つもないが、ここは大名庭園と同様、彦根城玄宮園の記事で述べたと同じような使い方が今も続いている。8600か所の寺と約550万人の檀家を擁する組織をまとめ上げる邸宅庭園が現役で機能していることは特筆すべきことだ。文化レベルが極めて高いこの邸宅庭園は組織のレベルを維持することに大きく貢献していると思う。渉成園は源氏の聖地を結ぶライン上に有り、源氏の聖地遥拝を続ける庭と建屋がある。渉成園日本に根を張る真宗大谷派が、ここを組織の頂点地とし、活用され続ていることは素晴らしいことだと思った。