平安時代末期(12世紀)に建てられた往生極楽院(阿弥陀堂)は1871年(明治4年)移転してきた三千院の境内に取り込まれた。往生極楽院は有清園の中央にある。往生極楽院、宸殿、客殿、御殿門は北北東すぐ隣の後鳥羽天皇、順徳天皇大原陵を、正反対方向の南南西に当麻寺本堂、奥院阿弥陀堂方向を、西北西に隠岐配流途上の後鳥羽天皇行在所(あんざいしょ)跡、仏谷寺を遥拝している。往生極楽院の東にある金色不動堂と当麻寺本堂を結ぶと天智天皇山科陵中心付近を通過した。両寺を往来する仏は天智天皇山科陵を通過する。大原陵中心と天智天皇山科陵中心を結んだ線は客殿、聚碧園を通過した。両方の陵は広いので有清園は神の通り道にある。東大寺伽藍は比叡山延暦寺を遥拝する向きに建てられていると書いたことがあるが、より厳密にグーグル航空地図を見ると、東大寺南大門、中門、八角灯籠、大仏殿を貫く伽藍中央線は三千院の東隣の来迎院に到達する。東大寺大仏への祈りは大原の来迎院、三千院、勝林院、宝泉院、実光院、そして比叡山延暦寺が受け止めている。三千院が聖地なのは比叡山法然堂の真北に三千院が位置すること。厳密にグーグル地図を見ると聚碧園と有清園の境目あたりが法然堂の真北となる。大きく見ると比叡山延暦寺建屋群の真北に位置する大原の来迎院、三千院、勝林院、宝泉院、実光院は共に聖地にあり、ここで東大寺大仏への多くの人の祈りを受け止めている。来迎院、三千院の本尊は当麻寺方面を見つめ、勝林院の本尊は白鳥陵、応神天皇陵を見守っている。有清園には多数のスギ、ヒノキの大木が立ち、往生極楽院を包み込んでいる。宸殿の薬師如来が、往生極楽院の阿弥陀三尊の背中を見つめているので、大きな緊張感が庭に張りつめている。宸殿、玉座の間の前から有清園を望むと、往生極楽院と東側の山との間の池に惹きつけられる。天から中の島に太陽光が降り注いでいる。まるでキリスト絵画で見た光の演出だ。スギゴケ面の緑色が綺麗で、スギ、ヒノキの梢から零れ落ちた光が苔面の濃淡を強調している。空気も澄んでいる。この庭には上下相反する方向に成長するスギ、ヒノキが放つ強烈なエネルギーがあり上下に離反する美しさを放っている。沢池や水を多く含む苔面に光が差し込む様は、沢池に日(火)が立っているようなので、易経の「38火沢睽(かたくけい)」が当てはまる。火は炎上し、沢水はどこまでも下る。幸せをつかもうとする同じ志を持つ2人の仲良し女性であっても、別々の男性をつかむ行動で離れてしまう。2人で幸せを作り上げようとする志を持つ男女であっても、男と女の行動は往々にしてお互い背を向け合ったものであり、和がなければ離れてしまう。このように相反する行動を取る者同士であっても志が同じであれば潔く美しい。禅宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗は天台宗から生まれた。それぞれの宗派の行動は相反し罵倒し合った歴史もあるが、人々の心を救済しようとする志が同じなので皆潔い美さがある。まるで比叡山で禅宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗が生まれた瞬間を庭が表現しているようだ。