三千院門跡 聚碧園

天台五門跡、三千院、曼殊院、毘沙門堂、妙法院、青蓮院の庭はそれぞれ個性が強い。天上世界の庭を持つ曼殊院の築地塀は淡い青混じりの黄色に白の5本筋だった。大名をまとめ上げるという目的意識の強い庭の毘沙門堂、武家風庭の妙法院の築地塀は黄色に白の5本筋だった。いろいろな作者の庭が連続する青蓮院の築地塀は青混じりの黄色に白の5本筋だった。ここ三千院は城壁のような石垣の上に筋がない真っ白の築地塀が緑の中に輝いていた。城門のような御殿門が威容を整えている。天台五門跡はそれぞれ違った雰囲気がある。門跡寺院は共通でないと感じた。客殿から座して鑑賞するか、或いは客殿と円融房を結ぶ渡り廊下から鑑賞する聚碧園(しゅうへきえん)は宗和流茶道の祖金森宋和(1584年~1657年)の修築とも伝わる。金森宋和の師は古田織部(1543年~1615年)、先輩は小堀遠州(1579年~1647年)。同じ時代の茶道家は「三千家」の始祖、千宗旦(1578年~1658年)、松花堂昭乗(1582年~1639年)、片桐石州(1605年~1673年)。小堀遠州の美に、上品な艶っぽさを加えた姫宗和の庭ということだろうか。片桐石州が1655年以降に築庭した當麻寺中之坊庭園と同じく女性的な感性を大切にした庭といった印象を受けた。當麻寺中之坊庭園は東塔のエネルギーを、石灯籠を伝わせ茶室に到達するようにしていた。こちらは極楽院(阿弥陀堂)のエネルギーを、少し傾いた石灯籠を伝わせ客殿に注ぎ込んでいる。山から吹き下りてきた風は阿弥陀三尊像が安座する往生極楽院を経て、聚碧園へ流れ込み、渓流や池の上を通り清涼感を付加し、客殿を通過させている。阿弥陀三尊像の傍を通った極楽浄土の風が鑑賞者の体を通過して行く。渓流音は極楽浄土に流れる音楽ということだろうか。築山には小堀遠州の庭のような大胆な大刈込、リズミカルなサツキの丸刈りがあり、降り注ぐ太陽光は築山上の樹木を色鮮やかに見せている。その頂点にある少し傾いた石灯籠に築山のエネルギーが集中している。さて、渓流から注がれた綺麗な水は客殿手前の池に流れ込んでいるが、渓流は太陽光を受けた明るい築山とは対照的に樹木の影の中にあり、湿地帯となっている庭奥は樹木、水草にて明瞭に見せないようにしている。山の泉から流れ出た水が渓流となり瀧を通り客殿前で小さな池となるドラマがあるのに渓流を朦朧と見せ、沢でなく水を意識させている。泉出る山中の湿地帯を取り囲む大木の幹と幹との間に見える山奥の風景も朦朧としている。視線は認識できない世界へと消えて行く。苔で覆われた朦朧とした石灯籠もあり、朦朧とした風景に囲まれ、朦朧とした世界の中にいることが実感させられる。山の中から水が涌き出たばかりの暗くて幼稚で未熟な世界は易経の「4山水蒙(さんすいもう)」この庭を鑑賞する人は、自らが幼く未熟であることを悟り、心を無にして教えを享受しなければならないこと学ばされる。石灯籠を伝って来る阿弥陀三尊の教えと行動を享受するべきことを示しているのだろうか。スギ、ヒノキの大木の上に見える青空が清々しい。あおみどり色が集合した幼い風景の中で、日光が降り注がれた築山風景は幸福に満ち溢れた極楽浄土のように際立っている。