吉城園(よしきえん)は北隣りの依水園と同じ思想で作られている。「池の庭」は依水園前園と同じく佛が滞在する庭、「苔の庭」は依水園後園と同じく神々と一体となるための庭。これら以外に「茶花の庭」があるが、茶花を育てるための庭で植物園のようなところ。「池の庭」当地には元興福寺子院の摩尼珠院があったと伝わる。旧正法院家住宅と庭は1919年(大正8年)に造られた。旧正法院家住宅をグーグル地図で調べると、建屋はブッダガヤの大菩薩寺に略向いている。一部はブッダガヤの大菩薩寺にピッタリ、一部は略同じ方角の大坂城天守閣に、ばらつきはあるが全体的にブッダガヤの大菩薩寺を遥拝している。建屋とブッダガヤの大菩薩寺を結んだ線は大阪城北外堀と寝屋川の間にある城郭跡地(桃園)を通過した。摩尼珠院建屋はブッダガヤの大菩薩寺をピッタリ遥拝する方向に建てられていたと思う。建屋から見た「池の庭」には借景の東大寺南大門があるので、ブッダガヤの大菩薩寺を背後に控える建屋前の池庭は佛が立ち寄る庭と言える。北隣の依水園と同様、南大門、若草山、春日山といったゴージャスな借景を持つ恵まれた庭だ。池の周りに頭が平たい大きな石が三つほど置いている。護岸石を含む庭石は丸みを帯びたものが多い。亀島は借景の春日山を高く見せるため平面となっていて、そこに円形平面の礎石を置き、その上にそれほど大きくない雪見灯籠を置いている。庭に置かれた複数本の石灯籠は巨大ではなく、石灯籠で権威と財力を示すということはない。池を囲む石々が競い合う、序列をつけるといった風ではなく、石々は歓談し歓楽のなかにあるといった風情だ。亀島に角材が1本架けられている。池の中に比較的大きな石が置かれ水面に丸い頭を出している。水はバクテリアによるものか少し濁っている。瀧壺に落ちる水音が響いている。池対岸は起伏が大きく、左側の高い築山上に「あずまや」が設けられ展望所となっている。現在、周りの樹木が大木となり視界を狭めているが、本来は東大寺伽藍、若草山、三笠前山(御蓋山)、花山(春日奥山)、春日大社を直接遥拝するための遥拝所だ。これだけの起伏がある庭であれば相国寺方丈裏庭庭園のように枯山水庭園とし、深く掘りこんだ峡谷にて春日山をより高く見せ、枯河の側面を綺麗な苔面とし、枯河底に流れを表現する玉石を並べることで、より豪快で豪華な庭園とすることが出来たのに、地下水脈の関係か、佛が滞在する庭とするためか、池庭とされている。藤原家聖地のひざ元、神々に見守られた立地に合わせ、池は東大寺の池を連想させものとし、佛が歓談しているような、のどかな庭とされている。池を囲む石々を如来、菩薩、明王に見立てると佛達が歓談している様子に見える。依水園同様、アセビが満開で、サツキの大刈込みは自然体の剪定がされていた。豪華なアカマツ、クロマツがあちこちに植えられている。色の変化が楽しめるカエデも多い。苔面が美しい。南大門と若草山が庭を贅沢にしている。「苔の庭」全面がスギゴケで覆われた庭を茶室から楽しむようになっているが、本来は春日山を借景とする庭である。茶室の中心建屋は春日大社の神域である春日山の花山(春日奥山)山頂に向いている。茶室は庭先にある花山山頂を直接遥拝するためにある。神が宿る春日山の気を、庭を通して茶室に取り込み、茶の湯の中に取り込むことを目的としている。今すぐに春日山の景観を遮っている巨木の枝を払い、カエデなど伐採すれば本来の姿に戻る。薄暗い茶室内から見た巨木の幹の間から見える春日山は神々しいことだろう。細長く広いスギゴケ面が春日山までの距離感を感じさせる。しかし山までの距離は短く、細長い苔面の先に見せるので、春日山が迫ってくるように見えることだろう。「茶花の庭」にはモクレン、ボケ、ユキヤナギ、ウメが花を咲かせていた。