旧大乗院庭園

明治初頭まで南都随一の名園と称えられた。銀閣寺庭園を作った善阿弥父子の作品だが、江戸時代に銀閣寺と同じく手が加えられ易経思想が吹き込まれたように感じる。興福寺塔頭の旧大乗院建屋跡から東方向に鑑賞する庭で、地面一面が若草山のような芝面で、島々はおおむね古墳のような形をし、春日山を借景としている。1868年(明治元年)大乗院は廃寺となるが庭は残り、戦後その一部が整備され、1995年(平成7年)から2010年(平成22年)にかけ復原された。(京都)勧修寺のように、多くの神の通り道(遥拝線上)にある庭池は潰されることがない。女性的なので宗像3女神が遊ぶ庭だと推測し、法隆寺にならい宗像大社(むなかたたいしゃ)の三社を起点としてそれぞれ遥拝線を引いて見た。(沖ノ島)宗像大社沖津宮と春日山の妙見宮を線で結ぶと池北側を通過した。この遥拝線は御蓋山を通過する。(大島)宗像大社中津宮と春日山の花山(春日奥山)山頂を線で結ぶと池の南側、文化館の北端を通過した。この遥拝線も御蓋山を通過する。(福岡県宗像市)宗像(むなかた)大社辺津宮と三笠前山(御蓋山)山頂を線で結ぶと池の北外側、庭園敷地のすぐ北側を通過した。神体山の御蓋山はすぐ近く裾野も広い。庭は宗像三社と御蓋山を往来する宗像3女神が通過する帯の中にスッポリと入っている。その他の遥拝線をグーグル地図上で調べると次々と出て来た。東大寺南大門と(和歌山)丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)を結んだ線は池中心を通過する。若草山山頂の鶯塚古墳と法隆寺金堂を結んだ線は池中心を通過する。春日山の妙見宮と(大阪)四天王寺金堂を結んだ線は池を通過する。御蓋山山頂と(福岡)太宰府天満宮本殿を結んだ線は池を通過する。春日大社中心と(香川)金毘羅宮を結んだ線は池中心を通過する。富士山山頂付近の浅間大社奥宮と春日大社中心を結んだ線を少し伸ばすと池に到達する。(淡路島)伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)と春日大社中心を結んだ線は池を通過する。出雲大社本殿と(奈良)頭塔を結んだ線は池を通過する。出雲大社本殿と伊勢神宮内宮御正殿を結んだ線は当園の40mほど南を通過するが、伊勢神宮内宮御正殿と(奈良)頭塔を結んだ線を少し延長すると池に到達する。醍醐寺三宝院と熊野那智大社を結んだ線は池の中島、そして東大寺古墳を通過する。ブッダガヤの大菩薩寺と池庭を結んだ線は大坂城内豊国神社の社殿-生駒山山頂北約500m地点-(奈良尼辻)宝来山古墳の南を通過し、少し東に線を伸ばすと御蓋山山裾に至る。このように多数の神の通り道とブッダガヤの大菩提寺を遥拝する線上に池庭を作ったことが判る。東大寺伽藍、興福寺伽藍は西の(岡山)吉備の中山山頂(吉備津神社、吉備津彦神社がある山)を遥拝している。奈良市内の東西道は吉備の中山方向に伸びているものが多いので、大乗院建屋も吉備の中山を遥拝する向きに建てられていたと思う。東大寺伽藍は北の延暦寺根本中堂を遥拝しているが、興福寺伽藍は南北共にピッタリとした遥拝先が見当たらない。そのため当園の建屋が南北のどの聖地を遥拝していたのか見当つかなかったが、東西方向については西にある吉備津神社(吉備の中山山頂の少し北)北緯が34度40分14.4秒、(霊峰)生駒山山頂の北緯が34度40分42.43秒、当園が34度40分42秒なので、当園は吉備の中山山頂、生駒山山頂の略真東に位置する。吉備の中山山頂付近(正確な北緯不明)と当園を線で結ぶと生駒山山頂付近を通過する。よって建屋跡から庭を見ることは吉備の中山と生駒山山頂を背にし、御蓋山の南の裾を拝むことになる。背後の範囲を少し広げるとブッダガヤの大菩薩寺、宝来山古墳、大阪城が控える。池の中島に架かる橋は略、吉備の中山に向け架けられているので、春分、秋分の日に橋の上から夕陽を拝めば吉備の中山と生駒山山頂を遥拝できる。霊峰、生駒山山頂から当園の方向を見ると奈良盆地が大きな池のように見えるが、建屋跡から庭池を見ると西小池が東大池に向かって流れゆく大河のように見え、東大池が盆地の中池のように見える。西小池の北池と南池はつながっているように見せているがつながっていない。南池と東大池もつながっているように見えるがつながっていない。北池の水面を南池より高く設定し、水の色を少しブルーに感じさせることで泉から水がわき出ているように見せ、水が北池から南池、そしてその先の東大池へと高地から低地に向かって流れているように見せている。水を流さず池水面の高低差と色彩を異ならせ、池のデザインにて大河の流れに見せている。鑑賞当日は南池と東大池の水面はほぼ同じであったが、梅雨などの季節には東大池の排水口の高さによるだろうが、南池の水面が東大池より少し高くなり、より流水感を感じられると思う。池の形は緩やかに婉曲している。護岸石は橋げた支持用の城壁式石組以外すべて丸い石を積み護岸している。丸みを帯びた地面が芝生面で覆われていることの相乗効果で、庭全体に丸みを帯びた清楚な女性美が漂う。飛来した色々な鳥が見られるが、かつては若草山と同じく神鹿(奈良の鹿)が水辺に遊び、芝や芝の種を自由に食べ、芝面再生していたのだろう。多くの神の通り道にある池庭で神鹿を遊ばせ、神が遊ぶ姿を想像させる庭だったと思う。江戸時代に付加したと思う易経とその象意は「19地沢臨」春たけなわ、地の水が流れて沢(池)に入り、沢の水が地を潤す。神鹿と芝のように、もちつもたれずの関係で、地と池が大いにそれぞれの美しさを保ち合いつつ競い合っている。それぞれが若さあふれるエネルギーを発散している。池(沢)を中心とした庭なので、雨が降り、雷がとどろき、風が吹くと表情が変わる。それぞれの表情ごとに異なる易経象意を楽しむこともできる。そして池に映った天が地に取り込まれている。ここは神々の通り道にある聖なる地。若々しい女性美を表現するおだやかな地が春日原始林上空の高貴な男性のような天を包み込んでいる。聖なる地が高貴な天の気を自らの体に浸透させている。それにより庭は気品あふれ、落ち着いたものになっている。毎年、山焼きにて生まれ変わる芝面をもつ若々しい若草山。藤原家聖地、春日大社。大仏で有名な東大寺。多くの文化財を持つ興福寺。それらがすぐ近くにあり宗教的雰囲気に包まれている。若草山と同じ芝にて若草山を連想させ、春日原始林が春日神社、春日山の匂いを漂わせる。このようなところで庭池に神々が遊ぶ姿を想像し、御蓋山に祈りを捧げる庭なので、建屋を復元し庭で神鹿を遊ばせれば往時の姿に戻ると思った。