深く掘り込んだ池に、地下水と通じているように見える水が溜まっている。池中央には吉祥の亀島がある。庭を取り囲む白壁の外に借景の山裾が広がり、多くの大木が育ち、外の地下水脈と、深く掘り込んだ庭池の水とがつながっているように感じさせている。地下水脈は地獄に通じる暗示あり、掘り込んだ池は地獄への入口に見える。地獄の入口に吉祥の亀を配することで、まるで地獄で菩薩を見る光景を連想させようとしているようだ。掘り込んだ小さな池に、大きな亀島を配することで、水底にいる大亀と見せ、滅多に浮かび上がることが無い大亀だと感じさせ、出会うことが極めて難しいたとえ「盲亀浮木」を表現したのだろうか。庫裏建屋の南側、広い廊下の先に、いきなり深く掘り込まれた庭池があるので、廊下の縁から池を見下ろせる。廊下の縁から足元のすぐ先を覗き込むと、水面に反射した眩しい太陽が拝める。月夜には水面に反射した月を長時間楽しむことができる。廊下の西側に延命殿がある。日暮れ時、廊下から延命殿の普賢延命菩薩を拝むとその背後には信貴山と二上山との間に沈む赤い太陽があり、神々しいことだろう。このような配置で日々、上空を旅する太陽と月の光を、庭を通し庫裏内に取り込んでいる。庭の鶴を模した松と同期する襖絵が庭の精気を取り込んでいる。廊下の縁から足元の少し先にある池水を見下ろさせることで、水面に映る天空、天空に浮かぶ太陽と月、そして天とは逆方向へ向かう水を見せ、天と水のように進む方向が異なる人、異なる信仰や思想を持つ人、異なるアイデンティティを持つ人と争うことの無意味さを教え、向かう方向が異なる人とは争うべきでないことを説いている。天空、太陽、月の動きを水面に反射させ、夕日を普賢延命菩薩の背後に配することで、天と太陽・月の関係のように、志を同じくする者同士は、隠し事なく親しみ、共に進むべきことを見せている。山野辺の道を歩き何気なく入った長岳寺、そこに教訓を刷り込ませた江戸庭園があり、日本文化が守り続けられていることに感動した。